今月の28日に、ロフトプラスワンで、旧友・竹熊健太郎君の「竹ノ熊さん祭り」があるという。
先日、コミケでお会いした際に、うかがう約束をした。今から楽しみだ。
さて、その際には、竹熊君のお父様のビデオが上映されるという話を聞いた。お父様はすでに80歳越だそうだ。
話によると竹熊一族は、景行天皇の部下の「タケノクマ」という人物の末裔という。
僕はその場で、タケクマという名前はむしろ、熊襲の末裔を思わせるのではないかとの話をした。つまり、景行天皇の息子のヤマトタケルが熊襲退治に熊本の地に来たという古事記の一節が頭をよぎったのだ。
たしか、もともと、この地にいたクマソタケルを倒すことによって、ヤマトタケルは、それまでの小碓命(おうすのみこと)という名前をヤマトタケルという名前に変えるのである。
しかし、その時の戦いは正々堂々というよりも、宴会で女装してクマソタケルに近づき、酒を飲ませ、酔ったところを殺すというどちらかといえば卑怯な戦法であったという。
大和民族が熊襲や、蝦夷を倒すときは、こういった酒席での「裏切り」が常套手段である。たしか、坂上田村麻呂が東北のアテルイ軍を倒したときにも、そんな逸話があったような。ちょっと記憶が曖昧だが...
話を戻す。そして、コミケでは、僕は自分の興味に引きつけて「お父様に家紋が何か聞いておいてくださいね、それでは、竹ノ熊さん祭りでまた。」という挨拶をして別れた。
しかし、一方的に聞いてきてくださいというのもアレなので、僕も一応、竹熊一族のことを調べてみた。まずは家紋だ。『都道府県別 姓氏家紋大事典』(柏書房)によれば、熊本県の竹熊氏は藤原秀郷流、家紋は下がり藤が代表的とのことだ。
そして僕は次に、タケクマという地名を探した。僕の師匠の長谷川順音先生は、名字というのは9割が地名から来ていると言われていた。だから、先祖を探すときにはそれと同じ地名を探すのが第一なのである。
すると、タケクマという地名は、宮城県の岩沼市にあるではないか。
しかも、それは「歌枕」にまでなっている有名な土地だったのである。
そして、さらに言えば、そこには名所特有の名物があった。それは「武隈の松」という松である。
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平安時代に能因法師という歌人がいた。彼は生涯、放浪しつづけた最初の歌人としても知られている。彼はこの武隈の松をこう詠んでいる。
武隈の松はこのたび跡もなし 千歳を経てや我は来つらん
(武隈の松はもう跡形もない、長い時間を経て、私はここに来たのに...)(まさむね適当訳)
また、あの西行もこの松を詠んでいる。
枯れにける松なき跡の武隈はみきと言ひても甲斐なかるべし
(武隈には、すでに枯れてしまった松の跡しかない。「幹=見来」と言っても来たかいがないなぁ)(まさむね適当訳)
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さて、この「歌枕」という言葉はどこか魅力的だ。荒俣宏氏もその『歌伝枕説』(世界文化社)の冒頭でこのように述べている。
歌枕とは、ふしぎに想像力を刺激する、なんとも絶妙な用語だと思う。
そして、荒俣氏は、この本の随所で歌枕となった土地が蝦夷、縄文、鬼など、まつろわぬ民の滅亡の記憶と関係があるのではないかと繰り返している。例えば、136ページ。
東北の歌枕は、どれも滅亡した過去のおもかげを伝えている。その過去とは、亡びた蝦夷であり、消された歴史上の敗者であり、また汚された聖地のことである。
また、151ページ。
歌枕が消し去った陸奥の古い実像とは、当時、高度の発達していた蝦夷独自の文化と、戦闘の傷跡である。とくに後者の戦争の記憶は、巧妙に抹殺されたに相違いない。官軍側を破ったアテルイのような英雄は、”悪路王”あるいは”鬼”として悪役に回され、他方、勝利をもたらした田村麻呂が英雄にまつりあげられるのだ。
そのことが明確に論証されるところまではいっていないのは残念だが、この荒俣氏のドタ勘は鋭い。
確かに、さきほど引用した能因と西行の歌の中の「武隈の松」はそんな過去の記憶の残骸として歌われている。それはいずれも、「武隈の松」を見に来たのだが、すでにそれはなかったという追憶の歌なのである。
しかし、武隈という土地には確かに、遠い過去に「何か」があったに違いない。
だから歌枕として残されたのだろうし、僕らの想像を掻き立てるのである。
ここからは僕の勝手な想像だ。
この武隈の地は、多賀城のすぐ手前の地だ。おそらく、大和朝廷軍と蝦夷軍の激しい戦闘があったのだ。そして、蝦夷軍は敗れ、多くの戦士がここに倒れたのである。
その後、この地に巨大な松が植える。松という植物は、正月の門松や羽衣でも知られているが天の神を地上に降ろす依代(よりしろ)であると同時に、地霊を天に昇らせる。つまり、地と天との霊的な通路なのだ。人々は、この地に生えた松を見上げることによって、遠い昔に倒れた地霊が天に上って御霊となったという幻想を見たのではないだろうか。
武隈というのはそんな蝦夷にとっての怨念の地=聖なる地だったのではないだろうか。(画像は現在、この地に植えられた武隈の松。岩沼市のHPより)
そして、そこに住んでいた蝦夷の末裔は、ある時期、一族そろって、新しい土地を求めて、西国のもう一つのまつろわぬ土地=熊襲に、自分達の第二の故郷を見つける。それが熊本の竹熊一族なのではないのだろうか。
名字というのは、多くの場合、本貫の地(もともと一族がいた土地)を現している。例えば、かつての自民党の実力者・二階堂進は、鎌倉の二階堂(鶴岡八幡宮の裏あたり)にいた一族が薩摩に移住した一族だ。
同様に、竹熊という名前は、陸奥の武隈から来た人々ということの刻印なのかもしれないと僕は思うのであった。
蝦夷、熊襲、いずれにしても、日本のまつろわぬ一族と、なんらかの関係性を感じさせる竹熊一族。
その一族に代々伝わる「竹ノ熊さん祭り」とは何か。
「たけくまメモ」には、こう書かれている。
俺の父親の口から、竹熊家に代々伝わっている謎の奇祭「竹ノ熊さん祭り」の真相について赤裸々に語られることでしょう!
ますます楽しみだ。
まさむね
しかし暑い。天気はほんとうに夏らしい夏だけど!
ただ景気はどこか怪しいように見える。でも大元の真意はあいかわらず世界的に余りすぎているお金が行き場をなくして依然としてジャンク債や国債やどこかの通貨に群がっているということじゃないか。実体がそんなに極端に悪化しているわけではないのに、行き場をなくしたお金が株式から逃げ出して悲観的なムードが漂いだしていて、それに引きずられているのだろう。実体経済からするとたまったものじゃないが、問題は実体(必要)以上に出回っているお金がいつも世界的に多すぎることじゃないか。みんな引き伸ばしをするだけで誰もこの精算をちゃんとやっていないわけだ。この報いはやっぱり国債の暴落とインフレという結末に向かわざるを得ないのだろうか? ぼくにはよく分からないが。
それはさておき、ニホンがどうありたいのか、ふたたび思考停止に陥っているのがいまの状況なのかもしれないネ。政治的にも経済的にもメリハリをなくしているようだ。一時のニホンの無駄や停滞に対する問いかけもすっかり勢いをなくしているみたいだ。けっきょく多くのひとは転換することが嫌いなのだろう。誰だって自分の生活が根本から変わることを望まないということか。
民主党も菅総理になってからもう何をしたいのかさっぱり分からない感じだ。友愛を掲げて、沖縄から基地を外に出すことに拘りつづけた鳩山由紀夫のほうが遥かによかったと思う。管直人はけっきょくただの日和見の権力志向者に過ぎないとしか思えない。政策も寄木細工的、場当たり的で、ふたたび官僚主導に戻りつつあるように思える。けっきょく既得権益者(当然アメリカの意向も入る)たちによる一斉報道のマスコミを使った鳩山、小沢叩き(金銭問題をからめて)がうまく行ったということだろう。振り子がもとに戻りつつあるようにみえる。
総じて、いまのニホンは結局堕ちきることもできず、かといって自力回復はできず、やっぱり外需頼みという構図。その頼みの綱がアメリカから中国に変わりつつあるというだけか。ニホンはつくづく外需頼みの国になってしまったということなのだろう。自力ではなく、他力本願。どこか遠くにある日本という幻、主は今も海のむこうからやって来る(主は来ませり)と言うことか。
アクティブに外に対して働きかけるでもなく、かといってみずからの中で弱さを受けとめる力があるわけでもなく、なにか移ろいながらただただ落日の木漏れ日のように薄れてゆくイメージ。戦後65年。ニホンはそろそろ経済の浮き沈みから本気で自立したほうがいいのでは。まさむねさんが言っているようにいっそ鎖国のほうがいいかもしれないネ。
最近GDPの規模で、日本がついに中国に抜かれて世界二位の座を降りることが取り上げられている。でも一個人あたりのGDPでは日本はとっくに10何位だったかに落ちていて、もう効率的な経済大国ではなくなっているのだ。だから今更二位から落ちることがそれほどショッキングなことだとは思えない。
それよりもすべてがあまりにも経済的な経済的なことばかりに左右されすぎているように思える。新聞の論調もそれ一辺倒だし。やれ世界経済だ、成長のドライバーだ、金融危機だ、景気の波だ、云々。
ぼくが高校生のころは、まだ反戦ムードやロックの影響もあり、みんなの関心はもっと多岐にわたっていて、こんな風に経済一辺倒ではなかったように思う。いつからこんな経済(金儲け)ばかりを気にする集団になってしまったのだろう。それにもともと日本人は経済という名の世界で戦うことがそんなに得意じゃなかったのでは。たぶん世界のどこへ行ってもニホン企業としてオレ流にやってきただけじゃないだろうか。少なくともグローバル戦略なんてものがあったタメシがあったのだろうか。ぼくにはよく分からないが。
徒然なるままの世迷言は尽きないが、とにかく暑さだけが肌実感だね。あいまいなニホンの、暑い夏が終わろうとしている。
よしむね
人間は、いかにして、動物から人間になったのだろうか。
古い問いである。ある人はそれは言葉だといい、ある人は、道具だともいう。
しかしおそらく、人類だけが死者を畏怖し、それを弔うという儀式を持っているということが動物と違うところではないだろうか。そんな話をかなり前にどこかで読んだような気がする。多分、構造主義の本だったかとも思うが覚えていない。
昨今、社会問題化している偽装生存老人問題は、一つには社会や家族の底が抜けてしまった絆の問題でもあるだろうし、別の視点から見れば、偽装年金受け取り問題という行政システムの問題でもある。
しかし、僕らがそのニュースを聞いて震撼するのは、そういった事件の当事者達の死者に、対する畏怖が全く感じられないという点である。隣の部屋で死んでしまった母親をそのまま放置しただけとか、父が即身成仏したいといっていたので自由にさせてあげたとか、まるでわけがわからない。
つまり、なんだかんだ言ったとしても、結局は、そういう状況の人々にとって、死者を弔うということ、すなわち人間であろうとすることよりも、己が、死者を生きたままということにして、その年金もらい、細々と生き続けること方が重要だということなのだろう。
しかし、それは全くの他人事なのであろうか。正直なところ、そんな状況に陥った人々というのは別に特別な人ではないと思う。それは、もしかしたら将来の僕達かもしれないのである。
数年前に東浩紀が「動物化するポストモダン」という本を書いた。彼は、この著書の中で「動物化」という言葉で、消費社会において、複雑な人間関係や社会関係抜きで、身体的な欲求を即座に求める傾向を説明したが、その究極のグロテスクな姿が、これらの偽装生存老人事件にあるように思える。東氏は、そのことをオタク文化(若者文化)を例にして語っていたが、僕らが今、目にしている「動物達」は、おそらく戦前、戦中に生まれたような「大人な」人々なのである。
日本人は、自らの手で何千年もかけて作り上げてきたユニークな文化、つまり、「死者は正しく弔わないと怨霊として生者を呪う。その死者に対する畏怖ゆえに、怨念を持って死んだ者こそ、盛大に奉り、護霊(御霊)として生者を護ってもらおう」という弔いの文化を無くそうとしているのだろうか。
現在、靖国神社を語る多くの言葉は、それが右から聞えようと、左から聞えようと、そのことよりも、死者に対する畏怖が感じられないことの方が問題なのではないかと僕は密かに思っている。
もしかしたら、日本人は、民族として動物への道をひた走っているのではないだろうか。
実は数日前の終戦記念日に、コミケでコスプレを見ながら、僕はそんなことを考えていたのであった。
まさむね
ちょっと前の話になるが、あの宇多田ヒカルが無期限活動休止宣言があった。
彼女はいわゆる98年デビュー組の大物の一人だ。
この98年デビュー組というのは、この宇多田ヒカルをはじめ、aiko、椎名林檎、浜崎あゆみ、kiroroなど、その後の00年代の音楽シーンをリードしたアーティスト達を僕が命名(他には全く普及せず)した名前である。
思い返せば、あの頃、山一證券破綻や和歌山の毒入りカレー事件なんかもあり、社会不安が一気に広った。社会学者・山田昌弘氏が言うところの「98年問題」であるが、自殺者数もこの年に一気に3万人の大台に乗り、それ以降全く下がっていない。
そして、それまでは小室哲哉に代表される大物プロデューサがストリート系の若い娘(例えば、安室奈美恵や華原朋美)に自身の楽曲を提供して、それと同世代の子が消費者となりメガヒットを記録するという業界にとって幸福な時代が終わり、いわゆるリアルな自分の言葉で歌詞を作るアーティストが一斉に世に出たのが、この98年だったのである。
で、その98年デビュー組の中で突出した音楽的才能を持っていたのが宇多田ヒカルだったのだと僕は思う。おそらく、一方で浜崎あゆみがどちらかと言えば、アダルトチルドレン系の女の子の代弁をし、aikoが普通の女の子の恋の一瞬を歌い、椎名林檎が過剰な演出の中にキャラを確立していくなかで、おそらく、宇多田ヒカルだけは、そういった「演出」とは無縁に、素の自分であろうとした天才歌手だったというのが僕の見立てである。
彼女の全盛時、確か、FNS歌謡祭の受賞インタビューだったかと思うが、ステージで「今後、どういった歌を作っていきたいですか」というアナウンサーの質問に対して、
「みんなが感動するような小ズルイ歌を作りたい」
と言ってのける、本当の事を言ってしまうような生意気な女の子だったのである。
だから、逆に彼女が作り出したメロディは天才的であったとしても、彼女が作る歌詞はキャラとしての彼女を表現するようなものではなかった。そこに感じたのは個の叫びというよりも、上手さであった。だから、彼女は、例えば、平家物語の「ただ春の夢のごとし」(『traveling』)みたいなことが歌えたである。
思えば、彼女の母親の藤圭子は、宇多田ヒカルは真逆に普通の女の子でありながら、「不幸」と言う名の過剰な演出を背負わされた演歌歌手であった。例えば藤圭子の母親(宇多田ヒカルの祖母)は、ファンが見ている前でだけ、盲目だったという。
そしてそんな母親の「過剰演出」とは対極に、無演出=天才・宇多田ヒカルがあったのである。
しかし、マーケッティング=すなわちキャラクタ第一優先の現代、何者かをも代弁しないシンガーなど存在できようもない。しかし、何かを代弁するというウソもいまさらつけない、さらに言えば、本当の姿を発露しようとしたら、多分、男にも女にも、つまり大衆的な支持は得られそうも無い「大金持ちの生意気なバツイチ」でしかありえない宇多田ヒカル。
無期限活動停止という姿は、彼女らしい決断だと僕は思う。天才というものは、良くも悪くも、常に、人々の期待を裏切り続けるものである。
まさむね
夏のコミケに行ってきた。
とにかく、物凄い人だ。しかも暑すぎる。
話には聞いていたが、この3日間が1年のうちで東京ビッグサイトのジュース類の売り上げが断トツに1位というのはわかる。
僕が足を運んだのは、屋上にあるコスプレエリア。なんで、こんな暑い日差しの下、わざわざコスプレ衣装を身にまとうのか。レイヤーの方々には本当にご苦労様と言いたい。
しかし、一方でそこかしこに、疲れきって、座り込むオタク達。遠くから見ると、岩礁に休むトドの大群のようだ。もちろん、僕もその一人だが。。。
ここ1ヶ月位の間に、こうしたコスプレイベントを観て回っているが、写真を撮るカメコたち、写真を撮られるレイヤーたち、彼ら彼女らは本当に礼儀正しい。
黙々と並んで、声を掛けて、ポーズを取ってもらって、シャッターを押して...そんな光景がそこかしこに見られる。
これがもしビジネスライクなイベントだったら、みんな文句の一つも言いたくなるだろう。
でも、みんな整然として暗黙のルールを守って楽しんでいる。
同日、遠く九段下では靖国神社に参拝する人々がいる一方で、ここにはキャラになりきった人々がいる。この世ではなく、想像のもう一つの世界に触れようとするという意味では共通なものがあるのかもしれないと思った。
敢えて極論するならば、いずれにしても日本人は確固たる共通の宗教心がない分、それぞれが自分の想像の世界を持っている。それがこうしたコミケ的な世界に造っているにちがいない。まるで八百万の神々が彼らが描くそれぞれの漫画に降臨する、だからこそ、コミケはお祭りなのである。それにしても暑い...
僕が今年のコミケに足を運んだ一つはコスプレイヤーの人々と触れることだが、もう一つは、竹熊健太郎さんに会うためだ。彼は、このコミケでマヴォ5号を販売している。TシャツやDVDもそうだ。
しかし、カタログが重過ぎて探す気もうせる。現地で携帯で「たけくまメモ」を見れば出展場所がすぐにわかるだろうと考えた僕が間違っていた。携帯など、ここではつながるはずもない。一緒に現地を回っていただいたスタジオハードデラックスの方の話だと、docomo、au、SoftBankはそれぞれ中継車を出しているそうだが焼け石に水の状況だ。
さきほど述べた「トド」達が一斉にアクセスしようとしてる。つながるわけもないのだ。
しかし、僕も負けてはいられない、数十回のアクセスの末、「たけくまメモ」に到達。彼のブースをようやく知ることが出来た。
もちろん、竹熊さんは売り子としてそこにいた。暑さゆえに、相当、衰弱した感じだ。いつものパワーは無い。
「50歳の身にはコミケはつらいですよ。」
と笑っていた。
いきなり、竹熊さんのお父様が竹熊家のご先祖は景行天皇の部下の「タケノクマ」という人物ではないと言っているという話になる。
「いや、やっぱりタケクマという名前はどちらかと言えば、熊襲系じゃないんですか。」と僕も突っ込む。
旧友は挨拶そこそこで、いきなり深い話になれるところがいい。
でも、ここで深入りするのももったいなさ過ぎる話だ。
「お父様に家紋が何か聞いておいてくださいね、それでは、竹の熊さん祭りでまた。」
と言って別れた。今度、じっくりと語ってみたいテーマである。
ということで僕のオタクサマー第三段のコミケは終了。とにかく暑かった。
まさむね
「美丘」というテレビドラマを偶然に見た。
不治の病で半年後に死ななくてはならない女の子の恋と友情の親子愛の話である。
見始めて1分でわかるそのストーリーの強さは典型と呼ぶのにふさわしい。「セカチュウ」「恋空」のカテゴリーだ。
おそらく、死を宣告された美丘という美少女は「カワイソウ」なのだろう。
しかし、この話をぼんやりと観ていた僕は「カワイソウ」ということの合意すら、ままならない現代という時代を考えてしまった。正直な話、頭では分っているのだが、僕にはこの美丘がそれほど「カワイソウ」とは思えなかったのだ。
世の中には、僕にとって琴線に触れる「カワイソウ」なものはたくさんある。それに比べて、彼女はむしろ幸せのようにも感じられた。あと半年とはいえ、理解のある父母がいて、恋人がいて、友達がいて...
しかし、それ以上に僕が気になったのは、ドラマの最後の方で、恋人の男の子が「だからこそ、僕らは今を一生懸命に生きなければならない」というようなことを口に出していた。そのセリフだ。
今、多くの若者が将来に希望を持つことが出来ず、今、この瞬間よりも老後のことを考えて貯金をするようになっているという。ようするに、消費をしなくなっているのだ。そして、それが日本の経済に大きな負の影響を与えている。マクロでみたらそれは困ることなのだ。
そういえば、このドラマの提供はある自動車メーカーだった。
ここからは、ドラマの中の話だ。引越しを終えたばかりの6人の若者。死を宣告された女の子が突然に海に行こうと言い出す。死のことを知っている恋人は彼女の身体のことを考えて、一瞬躊躇するが、「今をこそ生きようとする」彼女の気持ちに負けて、「行こう、行こう」と言い出す。そして、男女6人は、即、自動車で海に行くのであった。
そして、海でなんだかんだあって、共に生きる意味を確認する。
そんなシーンの後、CMになり、自動車メーカーが「今なら、エコ減税、補助金も...」と言って、今、こそ自動車を買うのがお買い得という。
正直な話、国の税金を投入して商品を買わせようとする業界自体、もう終わりも近いとは思うが、それはともかく、消費しない若者に対して、この「カワイソウな物語」は資本社会の究極の兵器になりうるのだろうか。
なんでもありだなと思った。
まさむね
昨日、「うぬぼれ刑事」を見た。
テレビドラマは「龍馬伝」以外で見ることはほとんどなくなったが、宮藤官九郎の脚本ということもあり久々に興味深くみさせてもらった。
フっと思ったのだが、彼の作品には必ず、「実はそうだった」という意外なキャラクタが登場するということ。
「木更津キャッツアイ」の謎の男・うっちー(岡田義徳)は、”実は”船上に住んでいた。
「マンハッタンラブストーリー」のタクシー運転手・赤羽伸子(小泉今日子)は、”実は”一流のコーヒー焙煎士だった。
「タイガー&ドラゴン」で裏原宿の服飾デザイナー・谷中竜二(岡田准一)は、”実は”落語の天才だった。
そして、昨日の「うぬぼれ刑事」に登場した美人の元バドミンドン日本代表選手の萩尾ゆみ(小雪)は、”実は”ホームレスで馬鹿だった。この意外性が宮藤官九郎のドラマの一つのポイントだ。
実は、この”実は”は、古くからの共同体が崩壊した後の人々のつながりが必然的に生み出す”実は”である。現代人の多くは、お互いの素性が知れた共同体を前提とした付き合いから、なんとなく集まっていくうちに仲間意識を持ち出すという絆を生きている。お互いがお互いにとって全人格というよりもある一部の「キャラ」としてつきあうようになっているということだ。
いい悪いは別にして、それがこの時代の必然なのだろう。
その意味で、この「キャラ」の影から垣間見られる”実は”というネタは極めて現代的だ。
おそらく、この他人の不透明性が、自分自信にも向けられた時、それは、自分自身ですら、何なのかわからないという方向に行く。それはここにいる自分とは別に、もう一人の自分がいるはずだという想念にも、簡単に結びつく。
この想念の延長に先般の幼児死体遺棄事件があるとすれば、ソフトバンクのCMで犬が実は昔サーファーだったという話を僕らはただ笑ってみていてもいいのだろうか..とも思ったりする今日この頃である。
まさむね
PS.90年代の前半、下北沢のスズナリで観た「大人計画」の「ゲームの達人」の中で宮藤官九郎が演じていた天皇仮面は究極的に危ないキャラ。テレビでなんてとても出来ないネタであった。あの頃の官九郎にはもう戻らないだろうな。
先日、会社の仕事でシマンテック社に、ノートンユーティリティの件で電話をした。インストール台数や有効期限、自動更新、アンインストールなどの質問だ。
電話をすると、まず、新製品へのバージョンアップのナレーションが流れた。こちらがそんな用事で電話したわけでもないのに、無償とはいえ、そんな告知はちょっと迷惑だ。しかも、そのナレーションでURLまで言い出すのだ。このURLをメモする、あるいはその場でPCに入力する人はいないだろう。そのためにわざわざ問い合わせに電話しているのではないのだから。
このあたり、いかがなものかと思った次第だ。次にナビダイヤルを経由して女性のオペレーターが出た。こちらの質問を聞いて、ぶっきらぼうに別の電話番号を教えられた。ちょっとがっかり。また電話しなおして、一から説明しなければならないからだ。
しかたがない。その教えられた電話番号に電話した。通常の呼び出し音とは違う。明らかにどこかに転送している。「アレッ」と思ったが次に出てきたのは、明らかに外国人(多分、中国人)の説明員だった。たしか、王さんとか言ったっけ。王さんという名前は中国では最も多い名前の一つだ。
僕は驚いた。その王さんが大変、丁寧な口調で日本語を話すのだ。もちろん、ネイティブではないことはすぐにわかる。しかし、ちょっとでも答えがモタモタするだけでも、常に、「大変、お待たせして申し訳ありません」と言うのだ。
しかも、一つの質問が終わると、「他に何かご質問はございませんでしょうか。」と繰り返す。
自分もかつて、サポート電話の対応をしたことがあるが、正直なところ、いかに先方に早く納得してもらい話を済ませる(電話を切る)のかがテーマだった。
しかし、この王さんは違った。
彼女に「他のご質問は?」と言われると、次々と別の疑問が出てくるから不思議だ。そして、電話を切ってみると僕はかなりすっきりした気分になった。
最後の王さんは、「これからそちらに、本日の私の対応がいかがだったかのアンケートを送りますのでお答えください。」と言っていた。おそらく、このアンケートの集計が査定などに関係してくるのであろう。
シマンテック社も長年のサポート業務の蓄積がこういったシステム(ノウハウ)を作り上げたにちがいない。
現在、日本の産業の多くが中国に移転している。同じことをさせるのであれば、コストの安い海外で対応させたほうがいいに決まっている。しかし、多くの日本人は、顧客対応というフェーズではまだまだ、中国人は日本人のきめ細かさ、誠実さ、優しさ、思いやりという点で劣っているに違いないと思っていると思う。実は僕もそうだった。
しかし、当たり前の話だが、「誠実さ」のインセンティブが働くようなシステムにしていれば、中国人だって、すぐに日本人に追いつく。いや、ハングリー精神がある分、日本人よりも優れた対応をするようになる。
シマンテック社のサポートを受けて、日本の産業の劣化は決して価格だけの話ではない。ある意味、自信を持っているはずだったサービス業のクォリティに関してもそうなりつつあるのではないかとちょっと不安な気持ちになった。
まさむね