5月に「ももいろクローバーのことばかり考えている」という記事を投稿してからも、相変わらずももいろクローバーZのことばかり考えています。
ももいろクローバーZは幾多の困難を乗り越えて目覚しい成長を遂げました。
百田夏菜子(赤)は声とまなざしにますます説得力を増し、玉井詩織(黄)はぐんぐん大きくうるわしくなり、佐々木彩夏(ピンク)はプロとしてたのもしくなり、有安杏果(緑)は歌声にソウル(魂)が宿り、高城れに(紫)は予測不能になりました。
2011年のももいろクローバーZの活動はドキュメンタリーのまとめられるべきだと思いますよ。
10年後ぐらいにドキュメンタリーで振り返りたいです。もっとも10年後のももいろクローバーZを想像するのは怖いですが‥‥。
2011年3月11日、大地震、大津波、そして福島の原子力発電所の事故のあと、東北・関東の広い範囲にわたって計画停電が実施されました。
そのころ、1年以上前に発売されたももいろクローバーのシングル曲『未来へススメ!』がYoutubeで「ヤシマ作戦応援ソング」というタイトルをつけられて多くの人に何度も聞かれる事態が起こりました。「ヤシマ作戦」とはアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に由来する、ネットの住人たちによる、節電協力を呼びかける運動です。
星屑の輝きで暗い闇照らして行ける
迷わずに進めばいい 風を切り 光の矢を放て!
どんなどんな困難でも
きっときっと立ち向かえる
一人じゃ挫けそうでも助け合えば大丈夫!
(未来へススメ!)
「未来へススメ!」は、もとの歌の趣旨から少々ずれて、今では復興応援ソングにしか聞こえません。
4月10日の早見あかりがグループから脱退した重要なコンサート「中野サンプラザ大会 ももクロ春の一大事 ~眩しさの中に君がいた~」では、「 強いニッポン、未来へススメ!」と書かれたフラッグが掲げられました。
そしてその日、グループ名に「Z」がつきました。
グループ名称が変わったのだから、たぶんグループの意味(目的)だってちょっと変わったんだと思います。
5月14日、ももクロは急遽被災地である仙台でフリーライブを敢行しました。
そこで初披露された『Z伝説~終わりなき革命~』で、ももいろクローバーZの「使命」がとうとう公にされました。
わたしたち泣いている人に何ができるだろう
それは力いっぱい歌って踊ること
よっしゃやんぜー!
われらはアイドル! 週末ヒロインももクロ!!
こぶしに握れ! 涙ぶちのめすぜ
(Z伝説~終わりなき革命~)
歌でみんなを笑顔にすること、悲しみと戦うこと、幸福にすること、つまり日本を救うことがももいろクローバーZの使命なのです。この少女たちはヒロイン(戦士)なのです。
戦隊ヒーローのパロディでふざけている風? 笑ってもらうことも重要な使命です。
彼女たちは本気でみんなの笑顔のために戦っています。それはもう必死です。7月3日 ZeppTokyoでの1日で3部公演、合計6時間を全力で歌い踊りまくった壮絶な姿を見るとそう思わずにはいられません。
参考:山里亮太が語るももクロZeppTokyo 7/3ドキュメント
8月27日に発売されたファーストアルバム『バトルアンドロマンス』の最後に収められたボーナストラック『ももクロのニッポン万歳!』で、日本中をジェット機で飛び回るぜ!と彼女たちは宣言します。その歌の中で彼女たちが最後に赴くのは東北です。
(僕は10月に「ももクロのニッポン万歳!」の東北パートの歌詞をゼッケンに書いて、流山ロードレース大会に参加しました。)
日本ヤバイです。ももクロちゃんなんとかしてください!
ももクロはそんな大役をひょいとひょいとひょひょいと引き受けてくれて、夏、秋、冬と、本当に日本中を飛び回りました。
そして歌のメッセージ、体力を使い切る全力のライブ、テレビやラジオなどのメディアでのはつらつとした言動、そして日々成長する姿を見せることによって、僕たちを感動させ勇気付けてくれました。
2011年11月23日に、ももいろクローバーZの新しいシングルCD『労働讃歌』が発売されました。
労働のプライドを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば勝てるかもしれないぜ!
(労働讃歌)
ももクロは宣言します。これから歌うのは「労働」の歌であり、そして戦いなのです。
今や運命は 我らにかかった
上の連中は サッサと逃げちまった
(労働讃歌)
僕は福島原発で冷温停止目指して今なお戦い続けている労働者たちに思いを馳せました。まさに今日本の運命は彼らにかかっています。彼らの過酷な戦いはあの日からまだ続いているのです。
宇宙弾丸列車 作るくらい大仕事、
地球片隅で目立たない戦い
勝ち目はあるのかって?見くびられてんじゃないの?
やることやるだけさ 労働For You
(労働讃歌)
震災以後、僕たちは生き方、考え方を見つめ直さずにはいられません。
今僕たちにできることは何だろう。
まずは目の前の自分の仕事を、家族や恋人や友人のために日々全うすることなのではないでしょうか。こつこつと。
働くと
働くと
君に会う時うれしいし
働くと
働くと
君の笑顔が見れるし
「労働For You」。それが「強い日本」を「未来へススメ」る方法かもしれません。
そしてももクロも働きます。ヒロインの仕事を全うします。
働こう
働こう
ビッカビカに輝け!
働こう
働こう
必ず 誰かが 助かってくれてる
それがプライド
労働For You あ~は~ん
『労働讃歌』は彼女たちが自分の使命を歌った歌でもあるのです。
僕たちは少女たちにたいへんな重荷を背負わせてしまいました。
せめて、彼女たちが自分のプライドを実感し、今の活動が彼女たち自身の糧になることを願ってやみません。
労働の喜びを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば見えるかも知れないぜ!
プライドとハートでガッツリ労働For You & Myself
じつに
関連エントリー:2011.05.11 ももいろクローバーのことばかり考えている
先日、友人のI君に諸星大二郎の「暗黒神話」を借りて読みました。
この漫画は、記紀からはじまり、古代史、邪馬台国神話、民間伝承、仏教説話、そしてしまいには、天文学をも巻き込んだ壮大なSF物語です。
諸星先生自身もこの作品について「緻密で壮大なジクソーパズルをしてみたかった」と言われていたということですが、まさにこの「暗黒神話」は、それらの膨大な歴史文書から抜き取られた様々なピースが諸星大二郎の頭脳の中で、強引かつ、奇跡的に一枚絵に組みあがったような作品なのです。
話の大きな枠組みとしては、一人の普通の少年が、未知の異世界に巻き込まれてゆく、というSFとしてはよくあるパターンなのですが、そのスケールの大きさと、ネタの豊富さが凡百の物語を完全に凌駕しています。おそらく、この作品を書くにあたっては、その構想に相当な時間を必要としたのではないかと想像されます。とにかく凄すぎます。
そして、さらに驚くのは、この漫画が最初に連載されたのが週刊「少年ジャンプ」(1979年)だったということです。読者層が、小学生高学年から、せいぜい大学生位の少年誌に、堂々とこんな複雑怪奇な漫画が連載されていたということですから。
勿論、小学生が読んだとしてもその全貌はつかめないと思われるのですが、それでも「ここに描かれていることは何だか凄い!」という感覚はつかめるでしょう。
この感覚は、「自分は今は知らないけど、なんだかこの日本(世界)には大きな謎があるに違いない!」という感覚に近いかもしれません。
そして、この漫画を読んだ子供達が、その感覚を元にして歴史や日本文化に興味を持ち、徐々に知識を得ていくということもありえるでしょう。さらに、ある程度、勉強した段階で、再読してみて、さらに感激する...そういった読者の成長に合わせて何度でも読み返せる作品、それがこの「暗黒神話」だと僕は思います。
つまり、この漫画の中に潜む様々なネタ元を、読者が自分なりに想像してみるという楽しみこそ、この物語の醍醐味ではないでしょうか。
例えば、主人公の山門武が、様々な場所で身体に受ける聖痕(スティグマ)は、「平家物語」にも登場する緒方惟栄(この物語にも緒方家が出てきます)の身体にあったという蛇の鱗の痣を想像させます。また、その武が八つ聖痕(スティグマ)を身体に刻んだとたんにオリオン座に存在する馬頭星雲に近づき、ブラフマンと一体化して、その「天の馬」を自由にあやつる超能力を与えられるという展開は、平将門が乱を起こしたときに、天から七つの星が降って来て黒馬となり祝福したという話とどこか繋がっているようにも思われるのです。
また、SF関連の影響か?というシーンで言えば、弟橘媛がカプセルから蘇った途端に体が崩れてしまうシーンは、手塚治虫の「火の鳥(未来編)」で猿田博士が作った生命維持装置から外に出た途端に溶解してしまう人造人間・アダムの姿と酷似していますし、56億7千万年後の地球に戻ってきた武が、石の馬とそれに群がる餓鬼を見て、そこが地球だと認識するという設定は、地球に帰ってきた宇宙飛行士が、砂に埋まった自由の女神を見て、そこが地球だとわかる、あの「猿の惑星」の衝撃のラストシーンを思い出させます。
さて、これはある種の都市伝説なのかもしれませんが、最近の子供達の間では、小説を読むなんていうのはトンでもない、それどころか、漫画を読めることが、「頭のいい子」ということになっているといいます。
でも、このような活字、あるいは漫画離れ現象というのは、実は、漫画作品自体が発する「よくわからないけど、何か凄いという」オーラというものが減ってきているというのも原因のひとつなのではないでしょうか。この「暗黒神話」を読んでそんなことが想像されました。
また、良作に出会った時に感じるオーラのもう一つの機能は、それによって読者が、自分でも同じようなモノを描いてみたくなる衝動を沸き起こすことだと思います。あるいは、そこまで行かなくても、その物語が持つ求心力が、読者それぞれの頭の中に、次々と別の連想を沸き起こさせるということです。
例えば、この物語で重要な役割を果たすのがスサノウなのですが、そのスサノウ繋がりで言えば...
スサノウを祭神としている八坂神社の神紋である五瓜紋は、織田信長の紋でもあるので、信長の超人的な力もスサノウの力を体現していたのではないか?とか...
八坂神社は、秦氏の氏神、その秦氏が奉ずる広隆寺の元々の本尊であった弥勒菩薩は、まさに56億7千万年後の武の姿ではないか?とか...
さらに、その広隆寺の牛祭の祭神である摩多羅神の象徴である茗荷紋は、秋山真之、村山槐多、水木しげる、三島由紀夫、角川春樹、北野武の家紋だから、彼らも物語に動員出来るのではないか?とか...
さらに、メチャクチャついでに...
例えば、先ほど上げた緒方惟栄の蛇の鱗の痣の話は、その後、緒方家に広く伝承される三つ鱗紋に結びつき、さらにさかのぼれば、三輪山の大物主(蛇神)にも行き着きますが、その蛇神の怒りが台風12号@2011を起こしたのではないのか、とか...
さらに、黒馬の話は、将門の子孫(と称する人々)、特に相馬家の繋ぎ馬紋と結びついてしまいますが、その相馬一族の本拠地(旧相馬藩)にあったのが、あの福島第一原発で、その現状はまるで、放たれた暴れ馬のようだったり、とか...
そんな、不謹慎で身勝手な連想が頭の中をかけめぐったりもしてしまうのです。
いずれにしても、こういった頭の中をかき乱すような漫画こそ、豊潤と呼ぶにふさわしいと僕は思います。
多分、しばらくは、「暗黒神話」の呪縛から離れられそうにありません。
まさむね
都内、及び近郊の様々な墓所を回って有名人の家紋の撮影をするのが、ここ数年の楽しみとなっています。
そうした墓所の中でも、有名人、偉人比率が最も高いエリアが、知る人ぞ知る青山霊園1種ロ8号1~14側です。
本日は、そこに眠る人々の家紋一覧を作ってみました。
超大物の吉田茂元首相の墓が移転してしまったのは残念ではありますが、それでも壮観さは健在です。
青山霊園の近くにオフィスのある方々、お昼休みなどに立ち寄られてはいかがでしょうか。
松田正久。1847年5月25日 - 1914年3月4日、政治家。
肥前国小城郡牛津に小城藩士横尾只七の次男として生まれた。陸軍省に入省。欧州留学後に佐賀にて自由民権運動に参加し自由党に入党。『東洋自由新聞』を創刊。大蔵大臣、文部大臣、法務大臣などを歴任。三つ目結い紋。
林董。1850年4月11日 - 1913年7月20日、外交官、政治家。
下総国佐倉藩の蘭医・佐藤泰然の子として生まれ、幕府御典医・林洞海の養子となる。香川・兵庫の県知事、ロシア・イギリスの駐在公使、外務大臣、逓信大臣などを務めた。ロンドンで日英同盟に調印。源氏車紋。
松室致。1852年1月22日 - 1931年2月16日、政治家、教育者。
小倉藩藩士の長男。読みは、まつむろいたす。桂内閣で司法大臣となり司法界の粛清を行う。後に貴族院議員、枢密顧問官を歴任。治安維持法への死刑・無期懲役追加に反対した。法政大学の学長を長く務めた。丸に桔梗紋。
頭山満。1855年5月27日 - 1944年10月5日、国家主義者。
福岡県出身。玄洋社の総帥。右翼の巨頭・黒幕的存在。孫文、蒋介石、ラス・ビハリ・ボースら日本に亡命した革命運動家らに援助を行う。アジア主義の立場で活動した。日韓併合の際、奔走するも植民地化の状態には幻滅した。五三桐紋。
犬養毅。1855年6月4日- 1932年5月15日、政治家。
備中国賀陽郡庭瀬村で大庄屋・郡奉行を務めた犬飼源左衛門の次男。若槻禮次郎内閣が崩壊したため反対党(立憲改進党)の総裁として第29代内閣総理大臣に就任する。五・一五事件で凶弾に倒れる。嘴合わせ三つ雁金。
珍田捨巳。1857年1月19日 - 1929年1月16日、外交官、侍従長。
弘前藩士珍田有孚の長男として弘前で生まれる。皇太子(のちの昭和天皇)の訪欧に際して訪欧供奉長となる。日露戦争後の講和条約締結交渉で小村寿太郎を補佐する。裕仁親王が即位3か月後に侍従長に就任。抱き稲紋。
島村速雄。1858年10月26日 - 1923年1月8日、海軍軍人。
高知県出身。土佐藩の郷士・島村左五平と妻・鹿子の間に生まれる。第四艦隊司令官、海軍兵学校校長、海軍大学校校長、海軍教育本部長、海軍大将を歴任。「天性的に度量のある人物」といわれた。丸に変り三つ蔓蔦紋。
加藤高明。1860年1月25日 - 1926年1月28日、外交官、政治家。
尾張藩の下級藩士・服部重文、久子の次男として出生。正二位 大勲位 伯爵。第24代内閣総理大臣となり、首相在任中に治安維持法、普通選挙法を成立させ日ソ基本条約を締結。ソ連と国交を樹立させる。六つ唐団扇紋。
八代六郎。1860年1月25日 - 1930年6月30日、海軍軍人。
愛知県犬山市出身。地主、松山庄七の三男。水戸藩浪士・八代逸平の養子となる。日露戦争勃発までの5年間、最前線を歴任。最終階級は海軍大将。NHKドラマ『坂の上の雲』では片岡鶴太郎が演じている。折敷に三の字紋。
牧野伸顕。1861年11月24日 - 1949年1月25日、政治家。
大久保利通の二男として生れたが、生後間もなく利通の義理の従兄弟にあたる牧野吉之丞の養子となる。茨城県知事、文部大臣、農商務大臣、外務大臣を歴任。第一次世界大戦後のパリ講和会議に次席全権大使として参加。丸に三つ蔦柏紋。
加藤友三郎。1861年4月1日 - 1923年8月24日、軍人、政治家。
広島市大手町出身。広島藩士・加藤七郎兵衛の三男。最終階級は元帥海軍大将。ワシントン会議には日本首席全権委員として出席。第21代内閣総理大臣時代にはシベリア撤兵・軍縮の実施などの重要な課題を遂行。蛇の目紋。
本野一郎。1862年3月23日 - 1918年9月17日、外交官、政治家。
肥前国佐賀生まれ。父は読売新聞創業者の本野盛亨。弟に化学者・早稲田大学教授の本野英吉郎がいる。外務省に入りフランス公使、ロシア公使、ベルギー公使を歴任。寺内内閣で外務大臣となる。丸に蔦紋。
伊集院彦吉。1864年7月22日 - 1924年4月26日、外務大臣。
薩摩藩出身。妻の芳子は大久保利通の長女。釜山領事、仁川領事、イタリア特命全権大使、パリ講和会議全権委員、外務省情報部部長、関東長官を経て、第2次山本内閣外務大臣となる。勲一等旭日桐花大綬章受章。丸に三方剣花菱紋。
岸清一。1867年8月3日 - 1933年10月29日、IOC委員。
松江雑賀町に松江藩の下級武士岸伴平の次男として生まれる。法曹界の重鎮であり特に民事訴訟法の権威であった。国際オリンピック委員会委員に就任し死ぬまで務めた。東京都渋谷区の岸記念体育会館にその名を残す。五三桐紋。
清水澄。1868年9月27日 - 1947年9月25日、憲法、行政法学者。
石川県金沢市出身。宮内省及び東宮御学問所御用掛となり、大正天皇、昭和天皇に憲法学を進講した。最後の枢密院議長として新憲法の審議に尽力したが日本国憲法が施行された直後に入水自殺をした。折入り角に右一つ丁子紋。
白川義則。1869年1月24日 - 1932年5月26日、陸軍軍人。
松山藩士白川親応の三男として出生。上海派遣軍司令官、関東軍司令官、陸軍大臣、軍事参議官等を歴任。上海での天長節祝賀会で爆弾に遭って重傷を負いそれが元で死去する。最終階級は陸軍大将。丸に軸付柏巴紋。
井上準之助。1869年5月6日 - 1932年2月9日、政治家、財政家。
大分県日田市大鶴町に造り酒屋を営む家に出生。第9、11代日本銀行総裁。第二次山本、浜口、第二次若槻内閣の蔵相。浜口内閣で行った金輸出解禁や緊縮財政は世界恐慌のため深刻な不況を招き血盟団事件で暗殺される。九枚笹紋。
浜口雄幸。1870年5月1日 - 1931年8月26日、政治家。
高知県長岡郡に林業を営む水口家に生まれる。大蔵大臣、内務大臣などを歴任した後、第27代内閣総理大臣となる。在任中に金解禁や緊縮政策を断行し、ロンドン海軍軍縮条約を結ぶ。その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた。丸に上付き二つ引両紋。
政尾藤吉。1871年12月8日 - 1921年8月11日、外交官、政治家。
愛媛県大洲出身。藩の御用商人の長男として生まれる。外務省からシャムに派遣され、のちに同国の法律顧問として刑法・民法・商法を起草する。タイ国王より信頼を受け白象第三勲章、王冠大綬章を受ける。丸に隅立て四つ目結い紋。
三土忠造。1871年8月11日 - 1948年4月1日、政治家。
香川県大内郡水主村出身。読みは、みつちちゅうぞう。宮脇姓であったが、三土家に養子入りしたために三土姓を名乗った。文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣・鉄道大臣・枢密顧問官・内務大臣を歴任した戦前政界の重鎮。丸に土佐柏紋。
伏見宮博恭王。1875年10月16日 - 1946年8月16日、海軍軍人。
伏見宮貞愛親王王子。議定官、軍令部総長、元帥海軍大将。日露戦争では連合艦隊旗艦三笠分隊長として黄海海戦に参加。艦長や艦隊司令長官を務めるなど皇族出身の軍人の中では実戦経験が豊富。伏見宮裏菊紋。
植原悦二郎。1877年5月15日 - 1962年12月2日、政治家。
長野県南安曇郡明盛村出身。国民主権論を大胆に主張するなど急進的な大正デモクラットとして言論活動を展開した。戦後、日本自由党の結成に参画し第1次吉田内閣の国務大臣として入閣する。改造後は内務大臣。蔦紋。
森恪。1882年2月28日 - 1932年12月11日、政治家。
大阪府大阪市西区江戸掘出身。読みは、もりかく。本名はもりつとむ。日露戦争ではバルチック艦隊の航跡を打電して日本海海戦の勝利に民間から貢献したという。政治家としては軍部と提携し日本の中国侵出に役割を果たす。丸に片喰紋。
丸山鶴吉。1883年9月27日 - 1956年6月3日、官僚。
丸山茂助の四男として広島県沼隈郡松永村に出生。警視庁特高課長、保安課長、静岡県内務部長、宮城県知事、朝鮮総督府警務局長、大政翼賛会事務総長、武蔵野美術学校校長、警視総監を歴任。丸に横木瓜紋。
高須四郎。1884年10月27日 - 1944年9月2日、海軍軍人。
茨城県桜川村出身。知英派で当時の欧米事情に詳しく、五・一五事件の後に、政党政治の崩壊を嘆き日独伊三国軍事同盟や日米開戦に反対。山本五十六や米内光政等、海軍左派勢力からも強く信頼されていた。最終階級は海軍大将。丸に違い鷹の羽紋。
大麻唯男。1889年7月7日 - 1957年2月20日、政治家。
熊本県玉名市出身。東條内閣の国務大臣として初入閣を果たし「東條の茶坊主」と呼ばれた。政党政治家として戦前から戦後にかけて政友本党、立憲民政党、改進党、日本民主党、自由民主党等を渡り歩く。六つ丁子車紋。
山口多聞。1892年8月17日 - 1942年6月6日、海軍軍人。
東京市小石川区に旧松江藩士の山口宗義の子として出生。軽巡洋艦「五十鈴」や戦艦「伊勢」の艦長を歴任。太平洋戦争では真珠湾攻撃に参加。ミッドウェー海戦で戦死。太平洋戦争期の日本海軍を代表する提督。最終階級は海軍中将。檜扇紋。
まさむね
先日、早稲田大学の大隈講堂に所用があって行ってきました。
早稲田界隈は、学生時代にはよく行っていたところなので親しみもあります。30年位前の話ですが。
当時は、大隈講堂とその前の通りと、それを挟んだ大隈重信の銅像があるキャンパスとの境が曖昧で、学生達は自由に行き来出来たような気がしていたのですが、先日行った時には、キャンパス側、大隈講堂側、それぞれに警備員がいました。
これも時代の流れなのかもしれません。
職員の方にも、お話をうかがったのですが、最近の学生さんは大人しくなったとか。そういえば、かつての早稲田キャンパスには、早稲田精神昂揚会の人々が普段でも角帽、学ラン、下駄で闊歩していました。一方で、新左翼系の建て看も沢山ありましたね。今は昔の話ですが。
さて、これは、知る人ぞ知る事実なのですが、大隈講堂の鉄門には、設立者である大隈重信先生の家紋がデザインされているんですね。一応、講堂の管理室の方にもおうかがいしたのですが、確かだそうです。それが左図です。
ただ、護国寺の墓所にある丸に剣花菱紋(右図)と比べるとかなりデフォルメされているようにも思いますが、まぁ気にしないことにしましょう。それでも、この早稲田を象徴する建物にひっそりと家紋を忍ばせる大隈先生のセンスはなかなかのものです。
所用が終わった後、大学近辺を散策。いくつかの寺を回りました。
まずは宝泉寺。これは天台宗のお寺ですが、元々大学の敷地はこのお寺の所有だったとか。ちょうど今の大隈重信像のあたりには、その昔、観音様があったといいます。
そして、このお寺の寺紋は撫子紋。寺紋としては珍しいと思い、メールで確認したところ、三代前の住職さんの家の紋というお答えを頂きました。
また、このお寺は早稲田大学合格祈願のお守りを売っているということでも有名なのですが、お寺からのツイートによると今後は、ワールドカップで優勝した「なでしこジャパン」の縁起も担いで、お守りに撫子紋を付ける案もあるそうです。こちらもなんだか嬉しいことですね。
次に行ったのが龍泉院。このお寺の寺紋は真言宗・智山派のお寺ということで桔梗紋です。平将門因縁の桔梗ですねww。
そしてその龍泉院の隣にあるのが、日蓮宗の法輪寺。ここの寺紋は、鶴の丸。鶴の向きが右向きなのがちょっとユニークです。実は、この日の朝、下谷にも足を伸ばしていたんですが、そこにある鬼子母神(真源寺)の寺紋も確か、鶴の丸。日蓮宗のお寺の寺紋の多くは、井桁に橘なのですが、僕はなんとなく、鶴紋の方が好きです。
そして、最後に行ったのが、この地の氏神・穴八幡です。冬至の「一陽来復」のお守りにご利益があることでもよく知られた神社です。
以前にも書いたのですが、小高い丘の上にある神社は、なんとなく信頼が出来ますね。それにしてもここの境内は綺麗です。現役バリバリで活気がありますね。
というわけで、早稲田の小散歩で見た寺紋、神紋、街中紋は以下に追加しました。次の目標200まで、日本家紋地図はあと34、全国寺社紋地図の方はあと56です!!
もし興味のある方は是非、ご覧下さい。そして応援よろしくお願いいたします。
日本家紋地図
全国寺社紋地図
まさむね
今日は青山霊園で見た二つの丸に違い鷹の羽紋についてのお話です。左が明治時代の文豪・尾崎紅葉、右が同時代の実業家・日比谷平左衛門の墓所にある丸に違い鷹の羽紋です。そして、真ん中は、現代標準的な均整の取れた丸に違い鷹の羽紋です(この三つの画像は、クリックすると若干大きく表示されます)。
よく見ていただくとわかるのですが、上に乗っている方の羽の上の方の線が無いんですね。
実は、私、以前から、尾崎紅葉の鷹の羽の上の方の線が無いのは、なんらかの意味があるのではないかと、ずっと思っていたのですが、先日、日比谷平左衛門の紋も同じようなデザインであることを発見し、「あ~これは、青山霊園御用達・石工さんのオリジナルデザインかぁ」と勝手に、納得した次第です。
いや、もしかしたら、その線を数本彫らなかったというのは、手抜きかもしれません。何故なら、それによってデザイン的に秀逸になったとも思えないからです。(ただ、これらの紋が彫られて数十年経た現在、これらの鷹の羽を改めて眺めてみると、なんとも手彫りの味がありますね。)
おそらく、このようにして、家紋デザインの改変がなされ、伝統として残り、後世、名付けられていく場合もあるのではないかと私は思います。
もっとも、昨日のエントリー(「日本人にとって伝統を守るということはそれほど厳密なことではないのではないか」)にも通じるのですが、私はこうした曖昧な伝統継承の寛容さにたいしては、むしろ好意的に感じています。そして、それが日本的ですらあると感じる今日、この頃です。
まさむね
最近、少し考えていることがあります。
もしかしたら、日本人にとって伝統を守るということはそれほど厳密なことではないのではないかということです。
いや、むしろ、曖昧に、いい加減に伝えて、でも、「まぁいいか!」というような、その伝え方自体が伝統ではないのかということです。
例えば、先日、青山霊園の一条実良の墓へ行きました。一条実良という方は、幕末から明治にかけての公家で、明治天皇の正妻・昭憲皇太后のお兄様にあたる方で、当時の一条家の当主、右大臣にもなっています。それで、この人のお墓には家紋が彫ってあるのですが、それが一般的に紋帳に出ている一条下り藤(一条藤 左図)とは微妙に違うんですね。
葉っぱの形状がまばらな感じではなくて、普通の下り藤紋と同様の形状でした。ただ、中央から下に垂れ下がる蔓の部分の形状は同じです。
藤原五摂家という、人臣では最高位の家柄が使用する家紋にして、このように微妙な変化を、寛容している、僕はなんとなく、そういったところに日本の文化の伝承の特徴があるのではないかと想像したのでした。
勿論、これはあくまでも想像ですので、その変化にはなんらかの意味や意図があったのかもしれませんが、とりあえず、探求はしないでおきます。
ちなみに、昭憲皇太后の名前についてこんな話があるのをご存知でしょうか。本来であったら、天皇の正妻ですから、昭憲皇后となるべきなのですが、それが内宮大臣のミスによって、皇太后になってしまったというお話です。こちらの経緯に関しては、明治神宮のHPのQ&Aコーナーでも取り上げられています。
そういえば、以前も、多磨霊園にある西園寺公望の墓の巴紋が、左三つ巴ではなく、右三つ巴であることがちょっと気になったことがありました。西園寺家の巴紋といえば、11世紀の「愚管抄」にも著されており、最も古い家紋の一つといわれているのですが、それにして、いつの間にか、左が右となっておりました。
まぁ、日本の伝統の根源たる人々ですら、こういった感じなので、私達のような一般人は、それほど、形式にこだわって伝統を守ろうとしなくてもいいのかもしれないですね。
まさむね
縁あって、最近、映画甲子園をボランティアでお手伝いしています。
若い才能を目にするのは本当に楽しいことです。今年(2011年)も数多くの作品にエントリーしてもらい、いくつかの面白い作品がありました。一次審査は終わり、表彰式は12月28日になります。なので、今年の作品に関しては、それ以降に書きたいと思いますが、去年の作品、特に下に予告編をリンクした「漂泊」という作品について語りたいと思います。
この作品は、慶応義塾高校の映画部によって作られたということですが、そのレベルの高さには驚きです。早熟といういうか、高校生の作品とは思えません。いや、勿論、大人だからといって作れるものではないでしょう。
話の展開は、まさにロードムービーの王道です。崩壊した家族から一人離れた少女と、余命いくばくもな少年とが、海を目指すという展開。社会というシステムから、脇道に逸れた二人だけの楽しくも、美しく、しかし絶望的な閉じられた世界が描かれています。
その意味で、アニメ「火垂の墓」や映画「悪人」にも近いといえば近い作品です。
戻れる場所の無い旅。
その場限りの幻想としての現実。
そして、もしかしたら理想的な人生...
もし、ご興味のある方は、本編はこちらにアップされているので、ごらんいただけます。
まさむね
今日は11月30日、11月最後の日です。
実は、自分の今月の目標はとりあえず、1ヶ月間、毎日、一つづつエントリーをアップすることでした。
いくら、時間があるとはいえ、そして、何を書いてもいいとはいえ、1ヶ月間、毎日書くというのはそれなりに大変なことでした。新聞記者とか、作家とか、プロで毎日、文章を書かれている人って本当に凄いと思います。
というわけで、明日からは、また、元のペースに戻って、アニメなどについても書き始めたいと思います。アニメ修行100と言いながら、48で止まってしまっていましたからね。
さて、今日は、たまたま、外で人に会う用事があり、その前にちょっと青山霊園に足を運びました。
変に思われる方も多いかもしれませんが、僕にとっては青山霊園は都会のオアシスのような場所です。あそこに行くと、なんだかホッとします。
そういえば、今日、初めて気づいたことがありました。
青山霊園は、1種イ、1種ロ、2種イ、2種ロというように、墓所が、4つのランクで分かれています。2種よりも1種の方が、そしてロよりもイの方が、いい場所にあり、しかも、立派な墓も多いようです。
それで、気づいたことというのは、実は、青山霊園には、1種イ14という地区が存在しないのですね。1種ロ14や2種ロ14は存在するのにです。これはなんとなく、不気味ではないですか。
そういえば、その昔、ゲゲゲの鬼太郎に4階の存在しないビルというのが出てきたことがありました。そこには人間は行けません。確か、妖怪・達磨が住んでいたんですよね。そこで、僕は、この1種イ14には、何か別世界への入り口があり、普段は地図にも載っていないが誰も気づかないでいる...そんなエリアではないのではないかと想像してしまいました。
以前にも書いたことがある(4番ベッドの無い病院、13階の無いビルなど)のですが、僕は4番が存在しない場所やビルがなんだかとっても気になります。
例えば、毎週土曜日に、C型肝炎治療のために、ネオファーゲンの注射をしてもらいに、病院に行くのですが、そこの治療室には4番のベッドがありません。その治療室に入るたびに、今でも、3番ベッドと5番ベッドの間の”不在の4番ベッド”を見ちゃうんですよね。
まぁ、それはともかく、今日、撮ってきた家紋はまた、おいおい「有名人の家紋」にアップしたいと思います。また、伊地知彦次郎の家紋も撮影したので、こちらも、近々、「NHKドラマ「坂の上の雲」 主要登場人物 家紋一覧」の方へアップしたいと思います。
それでは、今日は疲れたので、このあたりで、お休みなさい。
まさむね