「青山繁晴の地獄の果てまで生ニコニコ」というニコニコ動画の番組を観ました。
ご存知の方も多いかと思いますが、青山氏は、元々は共同通信の記者だったのですが、退社後に、御自身のシンクタンク「独立総合研究所」を設立され、エネルギー政策などに独自の視点から提言を続けておられる方です。
僕は、『青山繁晴が答えて、答えて、答える!』というチャンネル桜の番組は、YOUTUBEなどで、よく拝見しているのですが、上記の番組はそれを拡大し、テンションを上げ、若干、若者向けのノリにしたようなエキサイティングな番組になっておりました。
さて、その番組の中で、視聴者からのこんな質問が紹介されました。
TPPはデメリットの方が大きいように感じるけれども、それでもなお、政府を始め、根強く推進派の政治家が多く存在します。それは、やはりアメリカの政治的圧力というものがあるのでしょうか。
それに対して、青山氏は以下のように答えていました。
アメリカの政治的圧力があるというならまだいいんです。そうじゃなくて、野田総理を始めとする保身に走った政治家が、勝手にアメリカを気にして、アメリカの言う事を聞かないと自分の将来がなくなると思い込んでいるから、それが圧力になっているだけであって、僕の知る限り、アメリカが直接圧力をかけてきた気配はほとんどないんですね。
(中略)
言われる前から、「はい、私はちゃんと、アメリカ様の気持ちをわかっていますよ」ということでやろうとしているのが日本の政治の実態だと思っています。
つまり、ここでは日本の政治家や官僚が、ある種の空気に従って行動することによって、自ら進んで、その主権を放棄しようとしているということですね。ついで言えば、彼らは、無意識的に、何を守ろうとしているのかと言えば、おそらく、戦後日本の体制であり、目の前の経済的繁栄という(敢て言えば)幻想になるのだろうと思います。
こういった無意識の空気に突き動かされるという日本人の気質は、長い間、閉鎖された島国で生きてきた僕らの習性なのでしょうか。
勿論、上記の例は、かなり情けない話なのですが、こういった習性は、「目的が明確である場合は、特に誰から指示されたわけでもないが、それぞれが適切な行動を取る」というようにポジティブに発揮されることもあり、実は、それほど悪い面だけではないということもあります。
このところ、連日引用している『忘れられた日本人』のなかにも、そういった行動を取る日本人達のことが出てきます。
それは、昭和の30年代の始め頃の、周防大島の農村での話です。
一年生くらいの男の子が、突然、居なくなってしまったのです。心配した家の人は、警防団の人に出てもらって、家の近所のお宮の森へ何十人もが探しに出ました。結局は子供は、家の戸袋の隅からひょっこりと出てきて事なきを得たということなのですが、著者(宮本常一氏)は、その時のことを驚きをもって以下のように書いています。
子供がいたとわかると、さがしにいってくれた人々がもどってきて喜びの挨拶をしていく。その人たちの言葉をきいておどろいたのである。Aは山畑の小屋へ、Bは池や川のほとりを、Cは子供の友達の家を、Dは隣部落へという風に、子供の行きはしないかと思われるところへ、それぞれさがしにいってくれている。これは指揮者があって、手分けしてそうしてもらったのでもなければ、申し合わせてそうなったのでもない。それぞれ放送をきいて、勝手に探しにいってくれたのである。警防団員以外の人々はそれぞれその心当たりをさがしてくれたのであるが、あとで気がついてみると実に計画的に捜査がなされている。
(中略)
そういうところにも目に見えぬ村の意志のようなものが動いていて、だれに命令せられると言うことでなしに、ひとりひとりの行動におのずから統一ができているようである。
おそらく、日本人の連帯というのはこういった、目的が明確な時に最強に発揮されるのだろうと僕は思います。冒頭に紹介した同調圧力に弱いという日本人の欠点も、こうした場面では十分、美徳、あるいは力になり得るということですね。そして、311の震災の時の東北の被災された方々の行動にもこういった暗黙の行動規律があったようにも思いますね。
関係ないですが、この場面を読んで、僕は宮崎駿の「となりのトトロ」で、行方不明になったメイを村人が総出で探すシーンを思い出してしまいました。そして、もしかしたら、『忘れられた日本人』は、宮崎駿さんのネタ元だったのかもしれないと思いました。
話を戻します。
しかし、この日本人の特徴は、段々薄れてくるのではないかということも、実は、この『忘れられた日本人』には示唆されています。
一方で村人が真剣に探し回っている最中に、捜査に参加しようとせず、まったく他人事で、噂話だけをしている人々もいたということなのです。
そして、そういった人々は、新しく村人になったような人々で、普段は、旧住民と普通に交際しているのですが、いざというときには役に立たないのだと、宮本氏は述べているのです。
以前、僕は、「現代における「絆」とは? ~天皇陛下のご感想と飯島愛の死~」というエントリーを書きました。
そこで、危機的な状況の時に大事な「絆」は、お互いがお互いを縛るという性質のものであり、維持していくにはそれなりの「強制」がないといけないのではないか、というようなことを述べてました。
そして、この気持ちは、311以降、さらに強くなっています。抗しがたい歴史の流れの中で、人々がどのように「絆」を維持し、あるいは再生できるのかというのは、現代の日本人とって一番大事なことだと、今でも思っています。
そして、付け加えるならば、そうした絆がポジティブに発揮できるような、共通の目的を持たせること、それが政治家の大事な仕事だと僕は思います。
まさむね
※ここのところ、数回、引用してきた『忘れられた日本人』については、とりあえず、今日のエントリーで一旦離れようと思います。
明日からまた別のことについて書いてみようかな。
本日(11/12)、フジテレビの「新・週刊フジテレビ批評」という番組で、「”ネトウヨ”心理とテレビの関係…排外的な動きが今なぜ起こるのか」という特集番組は放送されました。
僕は、生では見られなかったのですが、すぐにYOUTUBEで見ました。
これは、夏場あたりから、ネット上で盛り上がり、実際のデモにまで発展した「フジテレビ批判」を、具体的にフジテレビ側が取り上げた最初の機会なのではないかと思います。
勿論、今まで数千人規模のデモ等に対しても、フジテレビや他のマスメディアがほとんど無視してきたことは、大いに疑問(+不満)のあるところですが、とりあえず、恐る恐るでも、取り上げたという意味では、この番組は、評価出来ることだと僕は思いました。
さて、この番組の内容は、濱野智史さんと津田大介さんが、「ネトウヨ」や今回のフジテレビデモの背景を解説し、フジテレビ側の二人のアナウンサーは特に意見を言うでもなく、神妙に聞き入るというスタイルで行われました。さすが、お二人は鋭い、大筋のところ、その分析は正しかったのではないでしょうか。
まず、ネトウヨに関してですが、濱野さんより以下のようなサマリーがなされていました。
ネトウヨと言っても、従来の街宣右翼とは違うということ、ネット(2CH)をやる人が全て、ネトウヨではないということ、そして、その起源は、90年代終わりに漫画家の小林よしのりさんが書いた「戦争論」や、歴史教科書批判であり、その動きは、2003年日韓共催ワールドカップで広まり、その後の「嫌韓流」(山野車輪)などによって理論づけられたということです。
そして、それらのネットの動きは、それまで情報を独占してきた左翼的マスメディアに対する批判と一体になったということですね。
海外との比較で言えば、アメリカのデモがウォール街の投資家に向き、中東のデモが独裁者に向いたのとパラレルに、日本ではそれがフジテレビに向いたというわけです。
勿論、日本の場合、そういったマスメディアに対して声を上げる人々の中は、様々な意見があります。
そのあたりは津田さんがフォローされていましたが、彼らの中には、従来の右翼運動家の延長で行っている人から、中国や韓国の日本に対する態度への反発を持つ人、メディアが嫌いな人、左翼的なエリート主義に対して反発する人...などがいるという話です。
そして、それらの人々が、尖閣事件から、311の大震災や原発事故を経て、益々、マスメディアに対して不信感を抱くようになり、それまではネットだけで連帯していのが、実社会でも具体的な行動を起こすようになってきたということですね。
さらに、津田さんは、昨今のTPPに対する偏向報道も、テレビ不審に至る流れに入れていました。
僕も、実際に311震災以降、僕ら日本人の意識は大きく変ったとのではないかと思っています。
それは、濱野さんや津田さんが言われているようなメディアに対する不信感の増大ということも、勿論なのですが、僕は、それ以上に、メディアで宣伝された商品を素直に受け入れ、消費することが幸せだという、そういった物欲資本主義的価値観が変わりつつあるのではないかと思います。
そして、一連の批判やデモは、フジテレビが象徴していた従来の価値観に、日本国民の多くは今まで騙され続けてきたという意識が、怨嗟感情として爆発したのではないかと思うわけですね。
一方で、被災者達が家族や住む場所を失って悲惨な暮らしを余儀なくされている、不況によって多くの人が職を失ない格差が広がっている、その反面で、今まで通りの揺らがない価値観に基づいて、特権的な場所から、大騒ぎのバラエティ番組を流し続けているテレビを、日本国民として、誰が、「自分達の気分や声を代弁してくれている」と思えるでしょうか。
番組の最後に、現状を踏まえてテレビ製作者側はどうすればいいのかというアナウンサーからの問いに対して、濱野さんは、「テレビとネットが意思疎通出来るような場を設けることが大事だ」というようなことを述べていました。
昨日のエントリーにも通じるのですが、日本人はとりあえず、「話合い」ということを解決の場所に持ってくることによって、なにか安心するようなことがありますが、もしもやるのであれば、プライムタイムにネットを代表する人々とテレビを代表する人々が何日にも渡って徹底的に討論するようなシリーズが必要かもしれません。中途半端な対応は一番良くないと思いますね。
そして、フジテレビには、土曜日の朝5:00の番組で、アリバイ的に取り扱って、それで終わりということが無いことを、とりあえず、願いたいと思います。
まさむね
本日、20:00、野田佳彦首相は、TPP・参加のための協議に入ることを発表しました。
実は、今日の夕方(16:00頃)、僕は、「坂の上の雲」を見ようとテレビの前に座っていたのですが、ドラマは一向に始まらず、国会中継が放送されていました。とりあえず、チャンネルはそのままに見ていたのですが、野田首相は、社民党の福島さん達の質問に、ただじっと耐えているという感じでしたね。
「おそらく、これがこの首相の作戦なのでしょう。」僕はすぐにそう思いました。
「相手に言いたいことを言わせて、自分は、完全に感情を抑えて下手に出る、そして時間が来るのを待つ」
まぁ、国会答弁に期待するほうが間違っているのかもしれませんが、それはあまりにも普通の、いつもの光景でしたね。
そして、20:00からの記者会見、僕と妻はNHKの9時のニュースで見ました。
内容に関しては、これもまた、見事に予定調和的でした。また、記者からの質問も、凡庸で取るに足りないものでした。
ただ、内容には、あまり関係ないことなのですが一つだけ気になったのは、他の記者は社名と名前を名乗るシーンは放送されたのですが、自由報道協会の岩上さんが質問をしたときだけ、質問内容は報道されたのに、名乗りのシーンの映像はカットされていたということです。
もしかしたら、いつものことかもしれないのですが、テレビのニュースを見る習慣のない僕や妻にとっては、ちょっと奇異に感じました。あくまでも、記者クラブメディアは、フリーランスの存在を知られたくないということなのでしょうね。
また、その後の政界の動きですが、野田首相が、「参加」を明言したのではなく、あくまでも「参加協議」に入るということを言っただけだったということで、慎重派議員たち(原口さんや山田さん)は、一様に満足げな表情で会見に応じていました。
彼らの態度は、それまでの反対態度に比べると、生ぬるい感じは否めなかったのですが、まぁ、それが日本の伝統的な話合いの後の風景ということなのでしょう。
そんなことを今日は書いてみたいと思います。
実は、僕が先日から繰り返し引用している『忘れられた日本人』という本の中にも、村の集会の様子が記述されているところがあるんですね。
日本(特に西日本)における村の寄り合いでの話合いに関してです。村で何か問題が起きると、村人達は、納得がいくまで話し合ったということです。宮本氏は、その様子を以下のように記しています。
話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういう事なのであろう。
こうして話をしていると、大抵の問題も三日で話がついたということなのです。
また、別の箇所には、こうも記されています。
話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。
なるほど、今回の野田首相の会見の一日延ばしというのは、極めて伝統的な日本的な作法だったという事なのですね。
つまり、日本の伝統では、とにかく話合いをしていれば、おのずと結論が出てくるとということなのでしょう。
これは、いわゆる話合い至上主義ということです。僕はそれは、民主主義とはどこか違うような気がします。民主主義であれば、議論が出尽くせば、結論は多数決で決められるのが本筋なのですが、話合い至上主義は、長時間話し合っていれば、おのずと結論が出てくるはず、といったある意味、信仰に近い観念があるように思うからです。
ようするに、野田首相としては、「皆さんのお気持ちは十分わかりました。後は、私に任せてください、悪いようにはいたしません」ということで了解をとったのでしょうね。極めて日本的な決着手法ではないですか。
しかし、これから交渉しなければならない相手は、日本の流儀が通じない外人です。
大丈夫かなぁと思いつつ、とりあえず、多くの反対派は、見守ることしか出来ないでしょう。
「決まったことには従う」、それもまた、日本の流儀ですからね。
まさむね
昨日、一昨日と映画「悪人」について熱く語ってしまいましたが、今日はまた『忘れられた日本人』についてお話を戻したいと思います。
この作品は本当に、話が具体的で面白いですね。一方で柳田國男は文献から、真実を読み取る天才ならば、この宮本常一は、フィールドワークの天才かもしれません。話の引き出し方が本当に巧みです。
ただ、この宮本さんは、柳田さんからは疎んじられたという話が伝わってきます。これは想像ですが、どこか、柳田さんは宮本さんのフットワークの軽さに嫉妬していたかもしれません。
また、「性」に対する臆面の無いスタンスが柳田さんから嫌悪されたという話も聞きます。確かに、民俗学で「性」を扱えるかどうかって、本当に、「肌(学風)」に依存するところが大きいのかもしれません。「性風俗」は一方でエリート官僚だった柳田さんの肌にはやっぱり合わないような気もします。
さて、『忘れられた日本人』の中にも、そんな「性」を扱った箇所がところどころに出てきます。
特に、農村の女性達が、田植えなどの農作業をするときに、エロ話ばかりをしていたという話は面白い。
例えば、ある、年増の女性二人がこんな話をします。
「この頃は田の神様も面白うなかろうのう」
「なしてや・・・」
「みんなモンペをはいて田植するようになったで」
「へえ?」
「田植ちうもんはシンキなもんで、なかなかハカが行きはせんので、田の神様を喜ばして、田植えを手伝うてもろうたもんじゃちうに」
「そうじゃろうか?」
「そうというの、モンペをはかずにへこ(腰巻)だけじゃと下から丸見えじゃろうが田の神さまがニンマリニンマリして・・・」
「手がつくまいにのう(仕事にならないだろう)」
僕には、一般的な知識として、日本には、冬は山にいた「山の神」が春になると里へ降りてきて、「田の神」となり、稲作を手伝ってくれるという信仰がある、という程度のことは知っていたのですが、具体的に、田植えをしていた女性達が「田の神」に対してどのように接していたのかは想像の外でした。
でも、こんな話を読むと、かなり具体的に、イメージ出来たような気がします。
昔の人々達は、本当に親しみを込めて神様と接していたということなんでしょう。
それは神様というよりは、本当に普通のアンちゃんを相手にしているような、肩の力を抜いた接し方ですからね。
さて、この本には、そんな女性達も嫁に行く前には、世間のことを知らないといけないということで、数人で旅に出たという話も出てきます。
「はぁ、昔にゃ世間をしらん娘は嫁にもらいてがのうての、あれは竈の前行儀しか知らんちうて、世間をしておらんとどうしても考えが狭まうなりますけのう、わしゃ十九の年に四国をまわったことがありました...」
というわけです。今でも大学卒業時などに、卒業旅行と称して、女性達がグループで旅行することは普通ですが、もしかしたら、そのルーツはこんな時代にもあったのかもしれません。
当然、昭和初期以前ですから、彼女達は歩いて旅行をして、いろんな土地を見て回るのですが、特に四国地方では、お遍路さん饗応の伝統があるので、そんな女性たちにも、道々の人々は食べ物や宿を提供したみたいですね。
本当に、昔の日本人達は、貰うほうも、あげる方もおおらかだったのでしょう。
そして、若い女性たちは、そんな見知らぬ人とのやりとり(交渉)の中で、世間を知っていったということなのではないでしょうかね。
最後に、もう一つ、面白い話。
実は、彼女達が旅をしていると、人々からもらったものは食べ物だけではなかったという話が出てきます。
「食うものばかりではなかったんですのう。」
「はあい、いろんなものをくれました。伊予の山の中では娘をもろうてくれんかと言われて・・・何をさせて使うてくれてもかまわん。
食わして大きうしてくれさえしたらええと言うておりました。よっぽど暮らしに困っておりましっしゃろう。
遍路の中にも子供の手をひいてあるいているのがたくさんおりました。たいがいはもらい子じゃったようであります。
(中略)
中には買うて来た子もいたが、たいがいは親がよう育てんからもろうてくれといわれてもらうて来たものであります。」
これはある角度から見ると、残酷物語ですが、別角度から見ると、人々のおおらかさのある側面を表したものといえるかもしれません。
日本人は、ほんの二~三世代前には、こんな風にして生きていたんだなぁと、しみじみ思います。
政治家などが、よく、日本人らしさとは何か、とか、日本人とは本来こうこうあるべきだ、みたいな話をよくしますが、そんな時、ちょっと『忘れられた日本人』を思い出しながら聞いてみるのもいいかと思いました。
まさむね
昨日に引き続き、本日も映画「悪人」について書きかせていただきます。
昨日は主に、若い世代の登場人物について書いたのですが、今日は逆に、主人公・祐一(妻夫木聡)の祖母の房枝(樹木希林)について書いてみたいと思います。
彼女は、本当に日本中何処にでもいるような普通の「おばあちゃん」です。母親に捨てられた孫の祐一を育て上げ、体が動かなくなった寝たきりの夫・勝治(井川比佐志)の世話を見ながら、パートで近所の魚市場で働いています。そして、そのささやかな収入を、いつか、可愛い孫のためにと、爪に火を灯すように貯金をしています。
しかし、そんな彼女にも「落し穴」が待っていました。お年寄りを集めて、面白おかしく巧みな講習で気を惹き、最終的には法外な健康食品を売りつけるという悪徳商法の販売員・堤下(松尾スズキ)の罠にひっかかってしまうのです。
房枝は、自らの足で、堤下の怪しげな事務所に足を運んでしまいました。
それは、おそらく、彼女の単調な日々の生活に紛れ込んだ一瞬の罠だったのかもしれません。悲しいことに、あまりに悲しいことに、事務所の中の堤下は、講習会で、房枝を「美人秘書」ともちあげたあの優しい顔をしていなかったのです。
それにしても、こういう役をさせた時の松尾スズキは、憎い程、上手ですね。「大人計画」の役者独特の、素の邪悪さに満ち満ちています。
そういえば、この映画、この松尾スズキ以外でも、主演の妻夫木聡とその叔父役の光石研、ヒロインの深津絵里とその妹役の山田キヌヲ、被害者の満島ひかり、その母親役の宮崎美子、と、見事に九州出身の役者さんを揃えていますね。しかも、今日のエントリーのテーマである房枝役の樹木希林も、そのルーツは九州にあるといいます。このあたりもこの映画のリアリティを支えているのだなぁと僕は思いました。
房枝に話を戻しましょう。
堤下の甘言にひっかかってしまった彼女も、残酷なようですが、実は、昨日のエントリーでも書いた「今、ここではないどこか」に幻想を抱いてしまった普通の人、ということが言えるかもしれません。邪悪な推測をするならば、房枝が堤下の事務所へ行ったのは、実は、体がポカポカになるお茶が欲しかったのではなく、心をポカポカにして欲しかったからではないでしょうか。
しかも、そんな房枝に対して、追い討ちをかけるように、孫・祐一が引き起こしてしまった大事件、それを目当てにやってきたハゲタカのようなマスコミ取材陣、そして、さらに、房枝の心を傷つけたのは、祐一を捨てたはずの母親・依子(余貴美子)が突然やってきて、房枝に投げかけた、その言葉でした。
母親のあたしまで白か眼で見られるとよ
祐一は、祐一はあたしが育てた、あたしの子やけん
私だって、祐一には悪かことしたと思うとるけん
だけん、今でも会うたびに涙流して 謝っとるよ
あんた祐一に会いよったと?
会いよるさ。
会うたびに涙流して謝るあたしから、あん子、お金せびるとよ
千円でも二千円でも。ギリギリで生活しよるあたしから
ったく、よか、人間に育ててくれたとよ。
房枝は、事件によって、それまで彼女が知らなかった祐一の陰の部分を見せられてしまうのです。
房枝にとっては、祖母・孝行のいい孫だった彼は、それまでずっと、陰で、出会い系サイトでオンナを買い、母親に金を無心するような”悪人”の顔を持っていたというわけですね。
しかも、この映画が残酷なのは、それだけではない。最初から最後まで、祐一から、房枝に対するリアルタイムの愛情の発露が描かれていないことなのです。彼は、殺人を犯し、光代と出会うことよって、一瞬の救いを得るわけですが、彼は母親との事は切実に思い出すけれども、もう、房枝のことは意識に上らない、距離を置いた存在になってしまっているのです。
いや、逆に言えば、祐一にとって房枝とは、それまで、無言のうちに自分を抑圧し続けてきた諸現実の象徴として見えていたのかもしれません。
面白いことに、祐一は、まさに彼の母親が祖母の家に怒鳴り込んだその夜に、光代と一緒に暮らす家の夢を見ます。そして、その家の絵を描くのですが、それは、距離を置いた平屋の二世帯同一敷地内別建て住宅となっています。この二つの家の間の曲がりくねった道が、そのまま、祐一の心の中の房枝との距離を表しているのでないでしょうか。
そして次の日、房枝は思い切った行動に出ます。それが、房枝を主人公として観た「悪人」のクライマックスとも言えるシーンです。
彼女は祐一が、初めて仕事をした得た給料で、彼女にプレゼントしたというスカーフを着けて、堤下の事務所へ乗り込み、取られた金を返してもらおうと戦いに行くのです。その前に、夫の介護のため、病院へ行く際には、そのスカーフをしていなかったのですが、イザ、”決戦”という前にそれを身に纏います。これは明らかに、祐一との”共闘”、あるいは、”応援”を意味する仕草だと思います。そして、それと同時にこれは、房枝の祐一からの独立闘争という意味も担っています。つまり、これからは、自分の力で生きていかなければならないという自分自身に対する決意表明でもあるのです。
ただの、優しい、孝行孫だった祐一が、自分の知らないところで持っていた別の姿、そんな祐一が、今まさに闘っている
それは確かに、「悪いこと」かもしれない、
しかし、ばあちゃんだけはお前の味方だという、そんな声にならない沈黙の声と同時に、これがばあちゃんの闘いだ、よく見ておけという声を、僕らは聞きます。
たった一人で勝ち目の無い戦(いくさ)に挑戦していく房枝の姿は、同時に、人生で始めて「生きている」という実感を得た祐一が、これまた、敗戦必死で立ち向かう「灯台闘争」=独立闘争のシーンとシンクロするのです。
最後で、佳乃(満島ひかり)が、殺された現場で、父・佳男(柄本明)が静かに手を合わせるシーンが出てきますが、そこのガードレールには、あのスカーフが巻かれています。
これにはいろんな解釈が考えられると思いますが、例えば、被害者の佳乃に対して、
「あなたを殺した、祐一は私の孫だけど、本当を悪い奴じゃないんだよ、このスカーフはその祐一が私にくれたんだから...だから許しておくれ。」
という声を聞く人もいるかもしれません。
しかし、一方で、全く逆に、スカーフを巻くという行為が、祐一をこの現場に置いてくる、という、残酷なる”追放”を意味しているという解釈も出来るのではないでしょうか。それは房枝から祐一への「私に出来るのは、ここまでだ、お前は、一人で、この娘さんを弔い続けなさい」というメッセージとして。
つまり、あの祖母から孫への最後の贈り物(戦闘という応援)は、孫の独り立ちへの餞別だったという解釈です。
そして、祐一は、人生で二度目の”残酷なおきざり”にあったという解釈です。
それでは、それは何のために?
それは、房枝の胸の中のある暗い部分だけが知っていることではないでしょうか。
まさむね
※佳男(柄本明)もこのドラマではかなりインパクトのある役を演じているのですが、今回のエントリーでは触れることが出来ませんでした。もし、それを期待されていた方がいたとしたら、申し訳ありません。
関連エントリー:映画「悪人」における本当の悪人は土地の呪縛ではないでしょうか
今週の日曜日の日曜洋画劇場で「悪人」が放送されました。
この映画は、2010年の日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演男優賞、最優秀助演女優賞などを受賞し、加えて、権威のあるキネ旬の日本映画ベスト・ワンにも輝いた作品です。
僕は、そのタイミングで観ようとも思ったのですが、時間が拘束されるのが嫌だったので、なんとなく見逃してしまいました。
しかし、後で、その映画を観た妻から、そのストーリーや俳優の演技の素晴らしさを聞くにつれ、後悔の念が沸き起こり、結局、次の日に、観ることにしたのでした。
映画の舞台は北九州(福岡、佐賀、長崎)、一言で言うと、この映画は、その土地に暮らす普通の人々が巻き込まれていく、どん詰まりの悲劇を描いた作品ということになるのでしょう。
僕は映画のストーリーや役者さんの演技もさることながら、登場人物達の暮らしぶり、意識、あるいは、その人間関係、家族関係など、つまり、この映画の背景となるものに対して、興味を抱きました。
彼らは一人一人、精一杯生きています。しかし、彼らは決して満たされてはいません。
例えば、主人公の清水祐一(妻夫木聡)は、長崎県のうらぶれた海の見える村の平屋に住んでいます。
僕はここで、まさにこの「悪人」の舞台となった長崎県諫早生まれの天才詩人・伊藤静雄の「帰郷者」という詩の冒頭を思い出さざるを得ませんでした。
自然は限りなく美しく 永久に住民は貧窮してゐた...
さて、祐一には友人も彼女もいません。叔父の会社で、肉体労働をしながら、時々、出会い系サイトを利用して、女性と関係を持つ、そんな毎日を過ごしています。彼には人間関係というものが全く無かったのです。
彼にとっての祖父母、そして叔父は、彼の意識の中では、無味乾燥な存在のようにも思えます。(それは、祖母の彼への想いとは、対照的です。)
そんな彼の唯一の趣味は車でした。
そのことは彼の部屋に張ってある車のポスターや模型でわかります。また、彼は自分の車に愛着を持っていることは、彼が愛車に、こだわりのナンバープレートをつけていることで表現されています。
話はちょっとズレますが、この映画では、シーンシーンに登場するオブジェが、本当によく練られています。意味を持たせています。スクリーンには極力、無駄なものが写っていない、優れた映画なのです。
例えば、祐一と対照的な存在として描かれている裕福な老舗旅館の息子で大学生の増尾圭吾(岡田将生)は、アウディを乗り回し、I-phoneを使いこなしています。それに対して、祐一のほうは、国産車(日産GT-R)に乗り、携帯も数世代前のガラバゴス携帯を操作していのです。つまり、そんなところにも二人が所属する社会階層や情報感度がほのめかされているわけですね。
また、その祐一と出会い系サイトでメールをやりとりすることをきかっけにして、彼とのっぴきならない関係になっていく、ヒロイン・馬込光代(深津絵里)は、紳士服の量販店の売り子をしているのですが、典型的に、「土地に縛られている」女性として描かれています。
二人は、最初に寝たホテルのベットの上でこんな会話をします。
ここに来る途中、安売りの靴屋があったやろう
あそこを右に曲がって、真っ直ぐ田んぼの中を進んだところが、
あたしの高校やったとよ
そのちょっと手前に小学校と中学校
今の職場もあの国道沿い
なんか、考えてみたら、あたしって、あの国道から全然、離れんやったとよね
あの国道を行ったり、来たりしよっただけで...
俺も似たようなもん
でも、海ん近くに住んどっとやろ。海ん近くっとか、うらやましか
目の前に海があったらもう、その先、どこにも行かれんような気になるよ
先ほど、僕が光代について「土地に縛られている」と言ったのは、彼女は、無意識的に土地から出られないと思い込みながら(思い込まされながら)、一方で、いつも現状に不満を抱いているからです。彼女には同居する妹がいますが、二人の気持ちは決して通じ合っているわけではないのです。
そして、そういった意識は、強弱こそあれ、この映画に登場する多くの人々が共通して持つ、いや、もしかしたら、現代に生きる日本人の多くが持つ、呪縛と幻覚なのかもしれません。
彼らは(そして、僕らも)、その呪縛と幻覚ゆえに、いつの間にか、「今、ここではないどこか」を求めて生きざるを得ない存在から抜け出ることが出来ないのです。
この「悪人」という映画は、この「今、ここではないどこか」というどこにも無い幻想を求めた者達の悲劇を描いた映画ということすら言えるのではないかと僕は思うのです。
その最初の悲劇の犠牲者が、石橋佳乃(満島ひかり)でした。彼女は、高校を卒業して保険の外交員をしています。親は久留米で理容師をしているのですが、彼女は、博多の寮で一人暮らしをしています。また、同僚とは表面的には仲がいいのですが、お互い本音の付き合いは出来ていません。そして、一方的に、大学生の増尾に幻想を抱いています。
しかし、現実は残酷です。彼女は、偶然に通りかかった増尾の車に乗せてもらうのですが、機嫌の悪かった彼に疎んじられ、なじられ、挙句の果てには、誰もいない峠で、車から蹴り出されてしまうのです。
そして、身も心もボロボロになった最悪の佳乃は、その車を尾行していた祐一に声をかけられるのですが、逆上して彼を罵倒してしまいます。
彼女の精一杯のプライドが、祐一を傷つけるのです。
警察に言ってやる。
絶対に言ってやる。
レイプされたって、拉致られたって言ってやる。
勿論、彼は彼女に対して、そんなことをしたわけではありません。いや、むしろ、彼女を助けようとしていたのです。しかし、逆上した彼女の言葉は残酷でした。
祐一にとって、最も、言われたくない言葉を言ってしまうのです。
誰があんたのことなんか信じると?
誰も信じんよ!
実は、祐一は子供の頃に、母親に捨てられていたのです。
そして、子供の彼は、母親が戻ってくるということを必死に主張しました。しかし、誰にも相手にされなかった...
彼は、後のシーンで、光代に、こう、述懐します。
かぁちゃんは戻ってくる!
かぁちゃんは...
誰も信じやんかった。
俺の言うことなんか。
誰も信じやんかった。
そして、それ以来、祐一は、自分が、存在する意味がわからないまま、ただ孝行な孫を演じるようになっていたのです。
そして彼の心は、爆発します。
俺だって今まで生きとるかも、死んどるかも、ようわからんやった。
(光代に対して)俺にさわるな!
なんでこんな人間なんやろ、俺...
僕は、祐一の自動車への愛着は、彼の「今、ここ」からの脱出願望の表現だというように感じます。彼は、車でどこかへ行こうとするときだけ、自分を感じることができたのかもしれません。
しかし、彼も、先ほど述べたような意味で、呪縛された男です。結局、祐一は、母親が彼を見捨てた「灯台」へまでしか行けないのです。
言うまでも無く、「灯台」は、自由に海を行き来する船を見つめるだけの存在、自分自身では何処へも行けない存在、つまり、祐一自身なのです。
そして、祐一は、佳乃の首を絞めてしまいます。こうして、祐一は殺人者となってしまうのです。
その後、祐一は、光代という、初めて自分を分かってくれる存在に出会います。
しかし、時は既に遅かった...祐一は既に殺人者から、逃亡者となってしまっていたからです。
そして、光代は祐一に一緒に逃げようと言ってしまうのです。
ついに、二人は、彼らを抑圧してくる現実よりも、「一瞬の幻想」への道をつき進んでしまうのです。
日本の西のどん詰まりの「灯台」、そこでわずかな間、祐一と光代との二人だけの生活が始まるのです。
しかし、現実の残酷さによって、二人の逃避行はカタストロフ(破局)を迎えてしまいます。残念ながら、当然の結果とも言えるでしょう。
同様の境遇に陥った二人という意味で類似している「火垂の墓」における兄妹は、衰弱死という結末を迎えますが、「悪人」においては、祐一は逮捕され、光代は、元の生活に戻るのでした。
光代は、以前と同じように例の国道を自転車で通勤し、以前と同じように、お客に愛想を言いながら紳士服の売り子に戻ります。
僕の妻は、この最後のシーンを見て、「あれだけ大騒ぎを起こしたら、同じ職場で働き続けるというのは有り得ないんじゃない?」と言っていました。
しかし、僕は、逆に、それほど、彼女を抑圧する土地の呪縛は強い、ということを表現しているんじゃないかと思いました。
もしかしたら、彼女には、他の土地に出て、新しい人生を送るという選択肢すら、見えていなかったのかもしれません。僕には、人間関係を寸断され、「今、ここではないどこか」への幻想を持たされながらも、土地に縛られて生きざるを得ないその社会からの呪縛こそが、この映画のテーマである本当の悪人のように思えたのでした。
まさむね
※本当は祐一の祖母・房枝(樹木希林)や、佳乃の父・佳男(柄本明)についても語らなければいけないところなのですが、それはまたの機会とさせていただきます。
関連エントリー:「悪人」論2 房枝を主人公として観た「悪人」とは
今日は、最近ちょっと面白いと思ったテレビドラマ「私のホストちゃん~しちにんのホスト~」(テレビ朝日)について書いてみたいと思います。
このドラマは、元々、人気の携帯ゲームをドラマ化したということですが、その経緯もさることながら、作り手と劇中の世界と観る側との三者のスタンスの取り方が、今までのテレビドラマ、あるいはドキュメンタリー番組とは違う、そこが大変、面白いんですね。
簡単に言ってしまえば、今までのテレビドラマというのは、フィクションだということを断って、フィクションを行います。勿論、これは、極めて普通のことです。別に、テレビじゃなくても、映画やビデオ作品でも同じことですよね。
しかし、最近、どうもテレビドラマの人気(視聴率)が落ちています。それは、他にも多くの要因があるのでしょうが、多くの人にとって、ドラマの中の世界と現実の世界とがズレてきたというのも、その一因のように思うわけです。
別の言い方をすれば、そこに描かれている人々や物語にリアリティが見出せなくなってきている、ということなのかもしれません。
また、一方で、ドキュメンタリーや報道というのは、”本当の話”という前提で、本当のことを見せる、そして視聴者も、そう思ってみる、ということですね。
いや、”そうだった”わけですと言った方がいいかもしれません。
インターネットの普及によって、あらゆる情報が多くの人々の耳目に入ってくるに従って、「アレッ、これって確かに素材は本当なんだけど、作り手がフィクション化しているんじゃないの?」という疑問は、普通のこととして、視聴者が抱くようになってしまいました。
そんな現象を結果として後押ししたのが、いわゆる311以降の報道やドキュメンタリー番組の体たらくですよね。その結果、そこで流されている「現実」は誰も信用できなくなってしまいました。ちょっと極論かもしれませんが、僕らは、今、マスメディアに対しては本当に不審感で一杯です。
そんなメディア不審(テレビはつまらないという気分)が極限に達しているときに、その危機感に対する一つの答えとして、テレビ側が出してきたのが、今回の「私のホストちゃん~しちにんのホスト~」のドラマじゃないのか、と僕は思ってしまったわけです。ご存知の方も多いと思いますが、演出は森三中の大島さんの旦那さんでもある鈴木おさむ氏です。
まず、このドラマが他のドラマとは違うのは、始まる前に画面一杯に、「この番組はフィクションです。画面の加工・効果はすべて演出です。」と表示されるところです。普通だったら、番組の最後に申し訳なさげに表示されるあのテロップが、むしろ、その事実を誇示するかのごとく表示されるのです。
そして、それに続いて流されるのは、あたかも、”本当の”ドキュメンタリーであるかのようなナレーションとカット割り。つまり、最初のテロップが無いと、おそらく最初は、ほとんどの人は”本物”だと思ってしまうでしょう。そんな演出になっているんですね。
ただ、観ていくに従って、この世界が嘘であるということが、メタメッセージとして伝わるようになっています。つまり、「こんなのありえねぇよ」とツッコミを入れたくなるようなシーンがところどころに入ってくるのです。さらに、劇的なシーン(喧嘩や、高級酒が注文される場面)が、何度も何度も、しつこく”偶然に”カメラに収められるからです。
おそらく、今までのテレビ番組であれば、そういったツッコミはテレビの中でコメンテイターとか芸人さんが行って、視聴者は「あっここで笑うんだ」ということをご親切に教えてもらうという構造になっていたのですが、このドラマでは完全に、ツッコミを視聴者の側に委ねているという感じ、そこが非常に面白いんですね。
例えば、話の中に、シャンペンコールを考えるプロという人が出てくるんですが、その人は店特注でシャンペンコールを専門につくり、月収500万円で年収6000万円というような話が、スッと入ってくるんですね。これには誰だって、「嘘でしょ」というツッコミを入れたくなります。しかし、画面の向こうではクソ真面目にドキュメンタリーが進行しているのです。そして、たまに、歌舞伎町伝説のホストとして現実として知られているる夕聖さんなんかが出てきてインタビューに応じていたりもするわけです。
つまり、このドラマは、フィクションという前提で、本当のことと嘘とを混在してみせているわけですね。
そういえば、リアリティのある嘘というのは、嘘と本当を混在させることって、どこかで聞いたことがあります。
さらに面白いのが、このドラマが映し出してるホストクラブという存在自体が、元々、虚実の境がよくわからない夢のような現実のような曖昧な世界であるということです。ここに対象(ホストクラブ)と手法(嘘のドキュメンタリ)とが奇妙にシンクロする、この感覚がなんともスリリングだと僕は思いました。
実は、偶然でしょうが、昨日(11月6日)、昼間にフジテレビで「浪花の人情ホスト」というホストのドキュメンタリー番組が、古い手法のまま放送されていて、僕は思わず、両者を比較して観てしまいましたね。
残念ながら、「浪花の人情ホスト」の方は、「ホストという仕事をしているどうしようも無い若者も、実は人情味溢れるいい奴」という凡庸な物語が、ドキュメンタリでありながら透けて見えてしまっていました。
勿論、男二人が服を着たまま、川の中で相撲を取り、友情を深めるというシーンなど、フィクションとしては泣かせる場面もあるのですが、所詮、ホストクラブの「宣伝(パブリシティ)」なんでしょ、という意識を僕は、意地悪にも持たざるを得なかったのです。
しかも、彼らを撮影しているスタッフは、一切姿を現さないという、これはこれで、当然の手法なのですが、そこが、「私のホストちゃん~しちにんのホスト~」を観た直後だと、どうにも偽善的に見えてしまう、これはある種の残酷な現象だなぁと僕は思うわけです。
まぁ、言葉では本当にわかりにくいと思いますので、興味のある方は是非、コチラからご覧下さい。
言い忘れましたが、このドラマのもう一つの大きな特徴は、テレビ局自身がYOUTUBEでオンデマンド配信しているということですからね。この勇気と、実験精神にはとりあえず、拍手を送りたいと思います。
まさむね
かなり以前、友人と話をしているときに、「一体、教養とは何だ?」という話になったことがありました。もう、30年も前の話です。
確かに、「あの人は教養がある」というような言い方をするとき、その定義は曖昧ですね。
物知りというのは、教養というのに近い気がしますが、最近は、スマフォを携帯している人が多くて、知識の多さや、正確さは、ネットにはかないません。
なので、知識を頭の中に持つということの価値が以前に比べて、落ちてきているようにも思えます。
そこで、Wikipediaの「教養」の項を見てみることにしました。すると、このように書かれてあります。
一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
なるほど、知識に加えて、人間力が必要ということでしょうか。これはなかなかハードルが高そうです。
また、日本における教養の箇所を見ると以下のように書かれてありました。
古代中国の影響を強く受ける形で、日本でも四書五経や漢詩は伝統的に重要視されてきている。やがて、日本独特の諸文芸や和歌がこれらと並ぶようになった。文人画などの絵画を自ら描く事も教養の一部を担っている。
それにしても、、現在の日本人に漢詩や和歌や文人画などを理解している人はどれだけいるのでしょうか。
でも、いつになるのかわかりませんが、出来れば、死ぬ間際に和歌(いわゆる辞世の歌)を残すというようなことぐらいはしてみたいものです。
夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす 柴田勝家
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢 豊臣秀吉
嬉しやと 再びさめて ひとねむり 浮き世の夢は あかつきの空 徳川家康
これらは、現在放送されている大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の主人公・江の義父達がそれぞれ残した辞世の歌ですが、どの歌にも夢という言葉が入っているのが目に付きます。
あんなに激しい人生を生きた人々が最期に行き着く場所に、「この世は夢だった」という観念があるというのが極めて日本的ではないですか。
その和歌に関してなのですが、以前、どこかで渡部昇一先生が「日本には和歌の元の平等がある」というようなことを書かれていました。つまり、万葉の昔から、日本人は、歌を詠む歌人としては、庶民も天皇も平等だという意味でしょうか。これも日本文化のある側面を言い当てた言葉だと思いますね。
さて、最後に僕が数日前から話題にしている『忘れられた日本人』からの話です。
この本には、幕末から明治にかけての、何人かの庶民(特に放浪民)のインタビューで成り立っているのですが、そこに世間師という人々が登場します。
世間師というのは、旅から旅へと、様々なところに移動しながら情報や新しい知識を得たり、村々に伝えていった人々のことで、宮本先生も本の中で「こうした人々の存在によって村が遅ればせながらもようやく世の動きに着いていけたとも言える。そういうことからすれば過去の村々におけるこうした世間師の姿はもうすこし掘り起こされたによいように思える。」と述べておられます。
おそらく、彼らはその知識と人格によって、人々の役に立っていたのでしょう。その意味で、世間師と呼ばれた名も無き人々は、十分に教養人だったといえるのかもしれません。
そんな世間師からのインタビューには、以下のような気になるような箇所があったので記しておきます。
京都あたりにはおっとりとして風流のわかる女がたくさんいた。あるとき宿屋で気品のある女中がきたので、歌を書いてお膳の上にのせておいた。するとお膳をひきにきたとき、それをちょっと見て帯の間へはさんで出ていった。何も言わなんだが、夜ねていると、そっとやってきた。気品のある女には恋歌を書いてわたすと大抵は言うことをきいてくれたものである。
まるで、「源氏物語」のような男と女の関係が、昭和の時代にまで残っていたということでしょうか、なんとなく羨ましい限りです。
「いざというときに、さっと和歌が書けるような人が教養のある人である」
とりとめのない話で恐縮でしたが、とりあえず、今日の結論はこのくらいにしておきたいと思います。
まさむね