ジョン=レノンの女性に対する複雑な想いはその歌詞の変遷に現れている。
初期には、女性に対する激しい嫉妬心、攻撃性がストレートに表現されている曲が目立つ。
アイドルが作る歌にしてはきわめて過激な歌詞が散見されるのだ。
代表的なのが、「I’ll Cry Instead」「You Can’t Do That」などだ。(以下、日本語は内田久美子訳より引用。)
I’ll Cry Instead
And when I do you’d better hide all the girls,
’cause I’m gonna break their hearts all ’round the world.
Yes, I’m gonna break them in two,
そのときは、女という女を隠しておかないと
世界中の女の心を傷つけてやる
ハートを真っ二つに引き裂いて恋に狂った男のパワーを見せつけてやるんだ
You Can’t Do That
I got something to say that might cause you pain,
If I catch you talking to that boy again,
I’m gonna let you down,
And leave you flat, Because I told you before, oh, You can’t do that.
ご機嫌をそこねるかもしれないが 言っときたいことがある
あいつとは二度と口きくんじゃない
今度見つけたらとっちめてやる
コテンパンにしてやるからな
前にもはっきりいったはずだ そんなことするなって
そして次の傾向として見られるのが、男性を振り回す女性の歌だ。「Rubber Soul」に収録された「ノルウェイの森」や「Girl」に出てくるどちらかといえば神秘的な女性を歌詞にするようになるのだ。
Girl
Is there anybody going listen to may story
All about the girl who came to satay
She’s the kind of girl you want …
先日、ある公営墓地の管理事務所で、ある有名人Mさんの墓所を尋ねたところ、教えることは教えてくれたのだが、その後、一言、個人情報保護法によって、あんまり墓の場所は教えられないんだよね。と嫌味を言われてしまった。
ちなみに、個人情報保護法令では、その定義の冒頭にこう書かれている。
この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる 氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合 することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。
これは生存者にのみ適用される法律なのだ。
僕もそのことは以前より知っていたのだが、墓守さんから、個人情報保護法によりって言われた時、口論するほど、気が強くないので、思わず、「申し訳ありません。ありがとうございます。」と言って、その場を去ってしまった。
しかし、微妙な違和感だけが残ったのである。
今のところ、有名人の墓に関して、明らかにそれは公開されているし、別段それが問題になっているようにも思えない。
青山霊園や生田の春秋苑では有名人墓所の地図を配布しているし、寺山修司が眠るは高尾霊園では、案内地図板に「寺山修司の墓」と書かれていた。また、石原裕次郎の墓がある総持寺では、「裕ちゃんの墓」と矢印看板が出ている。
また、中央霊園や本願寺和田堀廟所では、HPで埋葬されている偉人を紹介している。画像は、武者小路実篤墓を紹介している中央霊園のHPより。
しかし、今後、有名人の墓に落書きをするようなイタズラが発生し、それが無責任に報道でもされれば、墓所の場所告知にまで、個人情報保護法が拡大適用されるといった傾向は一気に広まらないとも限らない。
あくまで、個人的な趣味の範囲の問題ではあるが、微妙に困ったものだと思う。
まさむね
現代日本の華麗なる一族といえば、多くの人がまず思い出すのが「鳩山家」だろう。
その中で現在、最も注目されているのが鳩山邦夫だ。
祖父は内閣総理大臣の鳩山一郎、父は外務大臣の鳩山威一郎、そして兄の由紀夫は民主党党首の御仁である。
また、ご本人も、学生時代から秀才で知られ、高校時代は大手予備校「代々木ゼミナール」で行われる年3回の模擬試験を全てトップで通した程であったという。また、東大法学部でも記録的な数の「優」を獲得するなど、成績は抜群であったという。
ようするに家柄、頭脳ともに、抜群なのである。しかし、この人物、どこか腰が定まらないところがある。
というか、政治家として一体何をしたい人なのか、よくわからない。
傍から見れば、ただ首相になりたくて右往左往するがつまらない失敗を繰り返す人という印象しかない。
人気取りのために、様々な言動をするものの、それがことごとく裏目にでてしまう。
最近では、東京中央郵便局建て替え問題での現地視察、草なぎ剛に対する『最低の人間』発言など、やらなくてもいいこと、言わなくてもいいことを拙速に行い墓穴を掘っている。
結局、先天的に人々の心をつかむセンスの悪い人なのだろう。宮台真司先生は、しばしば「東大でも霞ヶ関でも一番優秀な連中は軒並み利他的」と言われるが、この鳩山氏もその優秀な連中に含まれているのだろうか。
さて、そんな鳩山邦夫氏が、今回の総務大臣辞任の後、谷中霊園にある鳩山家の墓所に墓参りをした。
さぞかし立派な墓かと思いきや、それほどでもない。
たしか画家の横山大観先生の墓の隣で、近所には巨大な渋沢栄一の墓、そして徳川慶喜の墓などもあり、それらから比べると、「華麗なる一族」といっても、その底の浅さは否めない。実際、鳩山家の先祖は、美作勝山藩の一藩士にすぎないのである。
墓所というのは、そういう意味で、ある意味、残酷にも、その素性を露呈する場所でもあるのだ。
しかも、今回、マスコミ連中を引き連れてやってきた墓参りに、邦夫先生何を勘違いしてか、「柏手」まで披露。残念ながら、そこは、神社ではありません。お賽銭を投げないだけマシだが、それをわざわざ、墓の背後から撮影させるトンマぶり。先祖を敬うといったある意味、名家では最も大事な作法は、家伝されていないのだろうか。こんなところにも鳩山家の「伝統」のレベルが見え隠れしている。
しかも、いくら墓参りの作法が受験勉強とは無関係だとしても、これが、東大歴代一二を争う秀才の「伝統」に対する教養かと思うと、情けなくなる。
日本人としてのアイデンティティの欠如や親殺し、子殺しなどの悲惨な事件の続発、実体経済を離れてM&Aやマネーゲームに狂奔する殺伐とした風潮などは、日本が我が国固有のすぐれた文明を失いつつあることを証明している。
これは、鳩山氏が2006年に自民党総裁選に立候補しようとした際に出した提言の一節であるが、自ら身をもって墓前での柏手で「我が国固有のすぐれた文明を失いつつあることを証明する」鳩山邦夫氏。
しかし、法務大臣の裁判員制度のPRコピー選定の際に、「『友だちの友だちは裁判員』というのにしたかったんですが」と笑ったが、先天的な自虐のセンスはあるのかもしれない。
まさむね
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今度は靖国神社で半被姿の放鳩、それでも保守政治家?
三沢光晴が亡くなった。
13日午後8時45分頃、広島市中区の広島県立総合体育館グリーンアリーナで、プロレス団体「プロレスリング・ノア」の試合中、ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が相手選手に投げられ、頭部を強打した。
三沢さんは救急車で広島大病院(広島市南区)に運ばれたが、午後10時10分、死亡が確認された。県警広島中央署は関係者から事情を聞いている。
-YOMIURI ONLINEより-
ちょっと信じられない。三沢といえば、僕の大好きなレスラーの一人だった。
若手時代、メキシコ修行から帰ってきて、タイガーマスクの仮面をつけてはじめてリングに上がった蔵前国技館。
そのタイガーのマスクをつけて、小林邦昭から初めてNWAのジュニアを奪取した両国国技館。
ジャパンと全日本の団体対抗戦で、必殺サソリ返しを見せるが、長州力に敗れた日本武道館。
天龍がメガネスーパーに引き抜かれた直後、川田利明とのタッグマッチでリング上でマスクを脱ぎ捨てた東京体育館。
難攻不落と言われたジャンボ鶴田から、初めてフェイスロックでギブアップを奪った日本武道館。
川田にフォールされ、三冠ベルトを奪取された東京ドーム。
芝居の公演があって行けなかった馬場さんにフォール勝ちした日本武道館以外、東京で行われたほとんどの全日本時代の三沢の晴れ舞台を生観戦するほどのファンだったのだ。上記の名勝負は今でも脳裏に焼きついている。
僕の90年代は三沢とともにあったと言っても過言ではなかったのである。
僕の見立てによれば、当時の全日本は、馬場さんという偉大な父親の下、長男・三沢光晴、次男・川田利明、三男・小橋健太という3兄弟が、父親の愛情を一番、受けんがために、必死に競い合うという息をも詰まるような極限の肉弾戦を繰り広げるという家族劇であった。くしくも、その3人は、実生活においても早くから父親を亡くしている、あるいは別離している。そんな彼らのやり場の無いエネルギーが彼らに全日本プロレスの門を叩かせる。そして、人一倍必死になって頑張った。自分のために、そして自分の居場所を与えてくれた馬場という「父親」のために...
そんな彼らの境遇がこの劇にリアリティを与えていたのだ。
しかし、馬場さんが亡くなり、その3兄弟は、それぞれ自己実現のための旅に出る。
それが、三沢が旗揚げした「ノア」という団体だ。
しかし、僕は馬場さんという重荷がなくなって自由になってからの三沢や小橋、そしてハッスル等でおちゃらけている川田にはあまり興味がなくなってしまった。
僕は、基本的に悲劇が好きなのかもしれない。
しかし、そんなときに突然入ってきた今回の訃報。やはりショックだ。
三沢光晴という存在がまだ自分の中で大きなものだったということを自覚した。
エンターテイナーという存在は、ファンの心の中の歴史の一こまに大きな刻印を残しているということを改めて感じた。
バックドロップでマットに叩きつけられた後、仰向けになって体力の回復を待ちながら、微妙にタイツを直す仕草が、僕にとっての三沢のトレードマークの仕草だったが、最期はそれが見られなかったのだろうか...うっ...
ご冥福を祈る。
まさむね
宮台真司先生の『日本の難点』(幻冬社新書)は、さすがに面白い。
前の『14歳からの社会学』(世界文化社)も名著だったが、この本も素晴らしい。
おそらく、宮台氏と僕とが同じ世代に属するというところが共感する部分が多い原因だと思うが、こちらがぼんやりと考えていることを見事に文章にしてくれている。
特に、日本の年金、農業、失われ行く「日本」に対する問題意識、政治、民主主義に対する卓越した論理的な思考は、当代随一だと思う。
しかし、ここでは、敢えて一つだけ、疑問を提出させていただきたい。
第五章の「日本をどうするのか-日本論-」、ここには現在の日本のいくつかの問題点を列挙されている。
後期高齢者医療制度、裁判員制度、秋葉原事件、農業、日本のエリート論...それぞれ重要な問題提起と提言がなされているのだが、その中に、『「環境問題のウソ」はホントか』と題するパートがあるのだ。
そこによるとこう書かれている。
最近「環境問題のウソ」を暴く本や言説がブームです。僕は爆笑します。「温暖化の主原因が二酸化炭素であるかどうか」はさして重要ではないからです。何故なら、環境問題は政治問題だからです。そうである以上、「環境問題のウソ」を暴く本が今頃出てくるのでは、十五年遅すぎるのです。
なるほど、確かに、既にいわゆる京都議定書の段階で、環境問題は政治問題となっており、今更、「環境問題のウソ」を言い立てても無駄と言えば無駄かもしれない。それはそうだ。
しかし、僕が??と思うのは、そういったいわゆる反環境本(例えば、武田邦彦「偽善エコロジー」等だと思うが)が若干売れているという事実が、その他の農業問題や、医療問題に比べて、それほど大きな問題か?ということなのだ。
別に、「あっそういう問題意識ってのもあるんだよね」程度の話ではないのか。僕も、例えば、民主党の子育て支援で大家族モノ番組はどうなる?という問題提起wwwをしたりしているのだが、自分で言うのもなんだが、その大家族モノ危機問題は実にくだらない。世の中、いろんな問題があるのだが、その中の優先度からすれば、全くどうでもいい問題である。まぁギャグのつもりで書いたんだけどね。
勿論、宮台氏の提起される問題は大家族モノ問題よりは明らかには重要ではあるのだろうが、その他の「日本の難点」に比べれば、とるに足りないことではないのか。僕は、軽くスルーすればいいものを敢えて、ここでこうして上から目線で叩くという姿勢、宮台氏が「僕は爆笑します。」というスタンスに、苦笑してしまう。どこか取り乱した印象を与えるからだ。
裏読みすれば、かつて援助交際女子高生を擁護する論陣を張った宮台氏が、実は、それはある面、プライベートなお友達擁護だったと同様に、この「環境問題のウソ」言い立て問題も、環境問題を政治問題としてではなく、(南洋の島とかに取材に行って)正面から扱う「お友達」を援護射撃しているのではと勘ぐってしまうのだ。
それに、敢えて、宮台氏とは逆の見地に立てば、国際政治的には決着がついた環境問題ではあるが、そこには、もしかしたらせっせと分別ゴミを出し続けるっていうのは、政府(環境省)に騙されているにすぎないんじゃないかっていう問題意識も、それは、マスコミも含めた権力側が無批判に押し付けてくる価値に対して、盲従するのではなく、一定の距離を置く契機としてであれば、僕は一理アリだと思う。また、環境問題が政治問題だとするならば、逆に、ベタに環境問題に取り組んでいる人たちも、「わかっていない」という意味で爆笑モノではないのだろうか。さらに言えば、既に国際間で「決着」がついている原爆保有問題に対して、今更、反原爆運動することも爆笑モノになってはしまいかねないのではないのか。
まぁ、名著の中に、サラリと紛れ込んだ「取り乱し」。
それはそれで、誠に人間らしい愛らしいパートではある。
まさむね
他人との折衝事が物凄く下手な人がいる。
実は僕もそうだ。
プレゼンや会議の前に、いろいろと作戦を立てるのだが、そんな作戦はアッという間に吹き飛ばされ、結局、話の流れで、自分の立てた筋道とは全く関係のないオチになることがよくある。
日曜劇場『ぼくの妹』の主人公・江上盟(オダギリジョー)もそんなキャラクタだ。
彼は天才的な外科医であるが、他人とのつき合い方がからっきし下手である。
特に妹の颯(長澤まさみ)がいつも勝手な行動をとるのだが、それを止めようと説得を試みるのだが、必ずと言っていいほど失敗するのだ。
正確には覚えていないがこんな感じの会話がよくある。
盟「だから、お前、あんな奴と一緒になっても幸せにはなれないぞ」
颯「大丈夫。今度は絶対。」
盟「いいか、あいつだけはやめとけ。お前はいつだって...」
颯「お兄ちゃんだって恋愛音痴のくせに」
盟「お、お前、それとこれとは話は全然別だろ」
颯「とにかく、お兄ちゃんには迷惑かけないから...」
といいながら、いつも妹の説得に失敗する江上盟に共感する情けない男は多い事だろう。
僕もそんな一人。彼に、最上級の親しみを覚えるのである。
「You Can’t Alway Get What You Want」(無情の世界)これはローリングストーンズの名曲であるが、何故、この世はいつも上手くいかないのだろう。
昨日のエントリー(『A Day In The Life』~現代社会にぽっかり開いた穴)にも書いたが、最近僕は、世界にはいくつもの穴が開いているというイメージに囚われている。
その穴は、いつ、自分の足元をすくうのかわからない。
そして、その穴は、ある時は具体的な敵として、事故として、痛みとして、またある時は、自分の内面の欝として、怒りとして自分を襲うのだ。
でも、それでも、僕たちは日々を繰り返し生きていかなくてはならないのだ。
雇用問題、少子化問題、環境問題、いろんな問題はいったい自分と関係があるのか。それとも無視していいのか。気に病むべきなのか、やり過ごすべきなのか。
真面目に考え出すと全くわからなくなる。
でもとりあえず、日曜日の夜「ぼくの妹」を観ると、穴に怯えているのは自分だけじゃないって気になる。
それだけでもこのドラマは僕の救いだ。
小さなことだけど、ドラマの中で桜井さん(大滝秀治)が亡くなって、その遺骨を岡山の田舎町に届けるシーンがあった。
既にこの生れ故郷に身寄りの無いこの爺さんの遺骨を受け取ってくれた寺の住職の名前は花房ソウゲンという名前だった
。ソウゲンはどういう字を書くのかは不明だが、花房といえば、岡山を知行としていた旗本の家で、宮内次官、枢密顧問官、日本赤十字社社長なども歴任した花房義質はそこの出である。
そんな歴史を踏まえると、その花房の縁者が、同じ岡山で寺の住職をしているというこのドラマ上の設定は、歴史学的にも誠にリアリティのある話である。
こういった細かいところにこだわってるということだけで、僕はこのドラマを信頼してしまう。
僕は最近、散々、TBSの悪口を書いている(TBSの断末魔こそ、今のテレビで最高の見世物だ、TBS 、大丈夫か?)のだが、さすがにドラマは一日の長がある。TBSにはこれからもいいドラマを作ってほしい。
ちなみに、この寺の家紋はおそらく「雁」系であろう。まぁ、ほとんどどうでもいい豆知識ではあるが。
まさむね
数年前、2chのビートルズ板で、最萌トーナメントという企画があった。
毎日、ABC順に2曲づつが選ばれ、自分の好きなほうを投票していくトーナメントである。
それで決勝に残ったのが、「A Day In The Life」と「Strawberry Fields Forever」の2曲。
そして偶然か必然か、最後はほんの1票差で「A Day In The Life」が優勝したのだ。
僕はその時は「A Day In The Life」に投票したが、もしかしたら苺に投票していたかもしれない。
おそらく、これに参加していた人たちはみんな、そんな感じだったと想像する。
トーナメントが終わった後の書込みでは、どちらが勝ってもおかしくなかった、楽しかった、などの賛美が数多く見られた。
さて、今日は、この優勝曲「A Day In The Life」について語りたいと思う。
ご存知通り、この曲は「ロックの金字塔」といわれた「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」のエンディング曲である。
この曲の一番でジョンは独特の声でこう歌う。(日本語は内田久美子訳より引用。)
I read the news today oh boy about a lucky man who made the grade
And though the news was rather sad
Well I just had to laugh
I saw the photograph.
今日、新聞で読んだよ。
運良く名をなした男の話だ。
少々悲しいニュースなのに僕は笑わずにいられなかった
そこに載ってた写真をみてね
He blew his mind out in a car
He didn’t notice that the lights had changed
A crowd of people stood and stared
They’d seen his face before
Nobody was really sure
If he was from the House of Lords.
彼は車を運転してるうちにぶっ飛んじまって
信号が変わったのに気がつかなかったんだ
野次馬がたくさん寄ってきて
見覚えのある顔だとみんなが思ったものの
そいつが上院議員だと断言できる人はひとりもいなかった
知ってる人の死。悲しむというよりも興味本位でそれを眺める人々。
しかし、知っていたとしても本当は誰かもわからない。確証がない。
現代の人間関係の希薄さを象徴するこの歌詞にゾッとする。
僕はこの歌詞に、渋谷の高層マンションで「孤独死」した飯島愛を重ねてしまう。
そして歌詞は二番につづく。
イギリス軍が戦争に勝ったという映画の話だ。
これはジョンが出演した「How I won the War」の事を歌っているといわれている。
しかし、その歌詞はあくまで冷静だ。
I …
昨日の『サザエさん』でちょっと気になるシーンがあった。
サザエさんが洋裁に凝ってしまい、晩御飯の仕度をフネをまかせっきりにしてしまったのだ。
それに対して、夫のマスオが、サザエさんの実母のフネに謝るのである。
何気ないシーンであるが僕は微妙な違和感を感じた。
例えば、自分の体験では、妻が何かマズいことをした時、妻の母が僕に謝ることはあっても、僕が妻の母に謝るということは考えられないからだ。
逆に、僕が妻に対して、何か悪い事をしてしまった時は、僕は義母に謝るのは当然といった意識はある。
つまり、僕の場合、サザエさん的世界とは、謝る人と謝られる人関係が逆になっているのだ。
妻にその事を話したら、「それは所有意識の差よ。」と言われた。なるほど、そういう意味では妻はまだ義母さんのものなのか?
しかし、いつから、サザエさん的世界が「現代」になったのだろうか。
最近、浅野忠信や宮沢りえが、大人になったカツオやワカメに扮するCMがあったが、それによると、2008年にカツオが36歳、テレビアニメの時代はカツオが11歳だから...
ようするに、そこから計算すると、テレビアニメは、1983年の出来事ということになる。
そういえば、昨日の放送回では、たまたま電話というのが一つのテーマだったからよく覚えているのだが、サザエさんの家の電話は手回しの黒電話だったが、モダンな友達の家の電話はプッシュフォンだった。
黒電話とプッシュフォンの混在、これは1983年という時代の状況として正しい。
という事は、妻の失態に夫が母に謝るのか、母が夫に謝るのかという変化は、バブル以降の出来事なのだろうか。
大雑把に言えば、その間、男女雇用機会均等法の成立、女性の経済的自立、精神的自立、男女共同参画社会基本法成立という流れがある。
そして、いつの間にか、サザエさんの時代が「現代」になってしまっているのであった。
妻がこの現象を説明するときに使った「所有」という概念だが、それで思い出すのが、夫婦別姓に関わる民法の改正案だ。
結局、この夫婦別姓問題の本質って、女性の自立という問題ではなく、女性の所有意識を夫が持つか、母が持ち続けるのかということなのかもしれない。
そして、現代の母優勢の流れが夫婦別姓の盛り上がりの背景にあるのは間違いない..と思う。
さらに言えば、娘を夫から母が取り戻す運動が、夫婦別姓運動なのかもしれないのだ。
しかし、実は、元々、日本人には、夫婦別姓的DNAがあるという見解もある。
例えば、僕の興味の対象の「家紋」の世界では、関西を中心に女紋という伝統がある。それは、女性が旦那の家に入っても家紋は、実家の母の紋を使用し続けるという風習だ。
また、詳細はまたの機会に書くが、源平藤橘を代表とする「氏」というのは、嫁ぎ先の「氏」ではなく、生家の「氏」を引き継ぐものなのである。
それにしても、僕たちはいつまでサザエさんをリアリティある世界として見続けられるのだろうか。
ちなみに、テクノロジーで言えば、サザエさんの世界にはまだ、パソコンも携帯電話もない。
とりあえず、なんとなく毎週見ている番組だ、初めてサザエさんに携帯電話が登場する歴史的瞬間は見逃すまいと思う。
まさむね