落語家の立川談志さんが亡くなりましたね。
75歳だそうです。
談志さんが、凄かったのは、常に現在を語り続けていたことだと思います。落語家さんはどうしても齢をとってくると「芸の道」という「あの世」に入って出てこなくなってしまいます。
勿論、談志さんだって、他の落語家さんと同様に、一方の顔で、芸の道に励んでいたのでしょうが、その一方で、常に、現世に存在し続けていました。これは、出来るようでいて、他の落語家さんにはなかなか出来ないことでしょうね。現在を語り続けるといことは、常に闘い続けるということと同義だからです。
そういえば、今からもう、20年位も前の話ですが、談志さんがあるプロレス雑誌のインタビューに答えているという記事がありました。今、思うとなんで、プロレス?って思うかもしれないですが、活気のあるジャンルというものは何でも巻き込んでしまう、そんな引力があるもので、その当時のプロレスにはそんなパワーがあったんですね。
そのインタビュー自体、結局はプロレスとは全く関係の無い話をして終わったのですが、その中で、談志さんははっきりと、「だまされちゃいけないよ。学校というものは教師のためにある、国会というものは国会議員のためにある。それを生徒や、国民のためにあると思うから話がわからなくなるんだ。」というようなことを語っていました。
2011年の現在から思うと、それは、ある意味、当たり前にも聞こえるのですが、当時は新鮮でしたね。ある時代の天才は、次の時代の常識を生み出すというのはまさに、談志さんのためにある言葉だと思いましたね。
また、談志さんは自らの言葉に説得力を持たせるために、必ずお客に対して、上のレベルで話さなければならないというようなことを語っているのも聞いたことがあります。
つまり、どんなに間違っていることを言っていたとしても、絶対に上から目線で話をすれば、他人を説得できると...
確かに、その自信に満ち溢れた話方は談志さん独特のものでした。
談志さんはテレビでこんな話をしていたことも覚えています。
ゴルフってのは身体に悪いよね!何故って、普通のスポーツは準備体操から始まって、段々本気を出して行くもんだけど、ゴルフは、最初のスィングが一番、思い切って打ち、段々、アイアンだとか、パターとかセコくなっていく。だから、絶対に身体に言い訳がない...
よく考えれば、どうでもいいようなネタなのですが、それが談志さんの自信に満ちた口から出てくると、説得力を持ってしまう、当時、僕は本当に笑いました。
しかし、後日、思い出してみると、別におかしくもない。僕は、その時、逆に、これこそが、談志さんの芸の凄さなんだと思ったものですね。
よく言われる話ですが、戦後の芸能界の歴史というものは、手の届かないスーパースターから、身近なアイドルへ、芸人へという流れがありますよね。インターネットの時代で、さらにそういう芸能人と一般人との「平等化」が進む中で、談志さんは、その流れに逆らうような存在だったと思います。
でも、もしかしたら、晩年は、自分の言葉が段々、人々に伝わらなくなってきたということを肌で感じていたのかもしれません。寄席で居眠りをしていた客に怒って、高座を降りたなんていうことがありましたが、悔しかったんでしょうね。
今後、談志さんの遺伝子を受け継いだ人々、特に、最近、微妙に影が薄くなっている爆笑問題とかに、東京の芸人として頑張ってほしいと思います。
今、有名人の家紋の立川談志さんの項目に死亡年月日を入れて更新いたました。
もしよろしかったら、コチラにも寄って行ってくださいね。
まさむね
大相撲が面白いですね。
やっぱり、何事も一生懸命に見ないとその面白さはわからないとつくづく思います。
本日、十日目。ついに、全勝の大関・琴奨菊に土が付きました。相手は、一昨日、昨日と必殺の「吊り技」で相手を根こそぎ持ち上げて土俵の外に運んだバルチック・クレーンこと、怪力の把瑠都です。
この把瑠都、とにかく胸を合わせて相手の上手を引いてしまい、上からのしかかるような体勢になれば、大抵の相手はもう身動きが取れません。
今日の琴奨菊もそうでした。吊られはしなかったものの、そのまま寄り切られてしまいました。
先輩・大関の意地という言い方も出来るかもしれませんが、明らかに体格負けでしょう。仕方がありません。明日からまた頑張って欲しいですね。
さて、本日は、今場所気になった新鋭力士について語ってみたいと思います。
豊ノ島、栃煌山、隠岐の海といった幕内上位の常連の次に位置する力士達についてです。
誰もが、今最も旬な若手といえば、栃の若の名前を上げざるを得ないでしょう。7日目の日馬富士戦では、なんと初対決で白星を上げてしまいました。さらに、昨日の白鵬戦、今日の琴欧洲戦、ともに敗れはしたものの、ファンの大きなインパクトを残しました。
192cmの長身、そして懐の深さは、かつての横綱・双羽黒(北尾)を彷彿させます。顔もなんとなく似ているんですね。
これはどんなスポーツでもそうなのですが、将来、伸びる選手は、必ず若いときにキラリの光るものを見せます。
ただでは土俵を割らないという意地のようなものを感じさせます。この負けず嫌いのところが凄いいいんですね。
「男子三日会わざれば刮目して見よ。」と言いますが、まさに来場所以降が楽しみな力士です。
次に僕が注目なのは、ていうか、誰でもが注目せざるを得ないのが、妙義龍でしょう。彼は豪栄道と高校の同級生です。一方の豪栄道は高校卒業を待たずして角界入門を果たしたのに対して、この妙義龍は大学に行ったため、ようやく幕内入りした段階ですが、その将来性はもしかしたら豪栄道よりも上かもしれません。
で、どこが良いって言えば、その体つきですね。身長は186cmとそれほど低くは無いのですが、足が短いせいか重心がとても低い。しかも肩の筋肉が発達しています。
どちらかといえば、相撲取りというよりもプロレスラーの体型に近いんですね。
あえて、言えば、90年代に全日本プロレスの常連だったダグ・ファーナスのようなたたずまいがあると僕は思っています。
そして、その体型ゆえにでしょうか、運動神経が物凄くいいのが一目でわかりますね。あんまり、力士に対して、運動神経やあるいは身体能力といった言い方はしないものですが、この妙義龍にだけは、そんなスポーツ用語を使いたくなります。
みなさんも是非注目してみてください。
そして、豪栄道の同僚という意味で、同様に僕が注目したいのが、今場所、初の十両昇進を果たした勢(いきおい)です。
彼は小学校の時、豪栄道と同じ相撲道場に通っていました。わんぱく相撲全国大会で準優勝もしたことがあったんですね。そんな彼は、中学卒業後、高校進学をせずに、3年間、フリーター生活をしていたというのですから、十分、変り種です。
今まで、中卒、高卒、大卒といった、それぞれのタイプの力士がいたのですが、フリーター力士というは、僕の記憶では初めてですね。その意味でも極めて現代的な力士といえるかもしれません。
しかも、顔がなかなかイケメンです。新十両のくせに、今場所は既に9勝をあげており(しかも唯一の負けが相手の髷に指が入ってしまっての反則負け)、もしも優勝してしまえば、入幕もすぐそこです。まさに勢いのある存在ではないでしょうか。
そして、その妙義龍、勢との幼馴染で、一歩先を言っている豪栄道も、今場所なかなか、頑張っています。勝ち星は、4勝(5敗)とそれほど伸びてはいないのですが、稀勢の里、把瑠都、日馬富士といったところを倒しています。そして、今日の隠岐の海戦も取り直し後の一番で圧倒していました。今までは、攻めの遅さが指摘されがちではありましたが、ゴツゴツとして体躯は魅力的で、朝青龍の後継者になりうる逸材だと僕は思います。
さて、今日取り上げた栃の若、妙義龍、勢、豪栄道の共通点ですが、実は三人とも大阪・兵庫といった阪神地区出身の力士なんですね。
そして、この阪神地区というのは、人口の多さに比べて、力士の出身地としてはこれまではそれほど恵まれていませんでした。もしかしたら、力士という泥臭い職業には合わない土地柄かとさえ思っていました。歴史をさかのぼれば、何人も大物はいるのかもしれないですが、僕の印象に残っている人では大関の増位山くらいでしょうか。
それよりも、北海道や青森、そして高知、九州といったところの方が、たくさんの力士を輩出していますから。
というわけで、豪栄道、栃の若、妙義龍、勢という阪神四天王(勝手に名づけさせていただきました)にはこれからも頑張って欲しいですね。
まさむね
2011年九州場所関連エントリー
2011.11.29:稀勢の里昇進問題、あるいは合理主義とノスタルジーの葛藤
2011.11.25:21回目の優勝を飾った白鵬について改めて考えてみた
2011.11.21:大相撲で頑張る白人達の話
2011.11.20:九州場所の注目の二人・琴奨菊と稀勢の里について
今日も昨日に引き続き、大相撲の話題をしたいと思います。
今日のテーマは白人力士です。
現在、幕内以上の白人力士は、碧山(ブルガリア)、魁聖(ブラジル)、阿覧(ロシア)、黒海(グルジア)、臥牙丸(グルジア)、栃の心(グルジア)、琴欧洲(ブルガリア)、把瑠都(エストニア)の8名がいます。いつの間にか沢山になりましたね。
10年ほど前までは、いわゆる小錦、曙、武蔵丸といった超大型ハワイ系の力士がいて、彼らにひきづられるようにして、力士の体格がどんどん大きくなりました。ただ、一方で動きが鈍くなり、すぐに前に落ちる相撲が目立ったり、怪我が増えたというマイナス面もありました。
でも、僕は、褐色の超大型力士が好きでした。そのおおらかなたたずまいと独特の明るさがあったからです。
そんなハワイ系力士の明るさを、一番引き継いでいるのが大関・把瑠都だと僕は思います。今日の相撲も、鶴竜に中に入られ、もろ差しを許しながら、肩越しに両上手を引き、強引に吊り出してしまいました。こんなことが出来るのは、把瑠都だけです。
僕は子供の頃から、若浪や陸奥嵐といった吊り技系の力士が好きでしたね。ただ、近年、朝青龍がたまに見せるくらいで、吊りを得意とする人が減ってきて凄く残念でした。
そんな朝青龍引退後、唯一残った吊り技力士がこの把瑠都です。ただ、往年の吊り技系力士がいわゆるソップ型が多かったのに対して、把瑠都は巨漢、しかもその吊りは強引そのものです。僕は個人的にそんな把瑠都の吊りをバルチッククレーンと呼んでいます。
昨日の阿覧戦、今日の鶴竜戦と続けて彼が見せてくれた吊りは本当に豪快で、ほとんど彼の一人芸ですね。僕は勝敗論は別にして、そういった把瑠都のユニークさをもっともっと磨いて欲しいと思っています。
相撲の定石からしたら、「もっと基礎を覚えろ」的な言葉が彼には投げかけられるべきなのでしょうが、僕のような素人は、素人なりの楽しみ方をしたいと思います。
さて、把瑠都以外の白人力士についても語ってみましょう。残念なところ、今場所は、新入幕の碧山以外は星が上がっていないですね。特にグルジア三トリオと阿覧は今場所は大きく負け越してしまうでしょう。臥牙丸などは、まだまだ、いわゆる”家賃が高い”のでしょうが、阿覧と栃の心と黒海の不調は残念です。
阿覧に関して言えば、相撲をまだあんまり覚えていなかった十両の頃の阿覧は荒々しくて好きでしたね。個人的にはバチバチ系と呼んでいました。張り手とか凄かったですから。ただ、幕の内上位に定着し、相撲を覚えてくるにしたがって残念ながら個性も薄れてきてしまったように思います。負けてもいいけど、かつての荒々しさを戻してほしいような気がします。
例えば、高安とか嘉風とか、向こう気の強い力士との対戦などで、かつてのバチバチ相撲を思い出して欲しいと思ったりもします。
栃の心の魅力はその腕力の強さですね。幕内下位にいたときは、上手を引いたときのその腕力だけでどうにかなったような気がするのですが、上位になると、残念ながら通用しないのでしょうか。大物喰いが出来ないですね。横綱、大関にとっては安パイ的な存在になってしまっているように思えます。
相撲以前には、サンボと柔道をやっていたということですが、そういった格闘技経験をなんとか自分の中で、相撲技として生かすような工夫は出来ないのでしょうか。
古い話ですが、かつて栃赤城という柔道出身の力士がいました。彼は「サーカス相撲」と揶揄されながらも、決してそのスタイルを崩そうとしなかった、大関にはなれなかったのですが、柔道という格闘技のバックボーンを十分に相撲に生かしてくれた力士として、僕らの記憶に残っています。
栃の心には、そういった異種格闘技的相撲スタイルを期待したいのですが...ちょっと今からは難しいでしょうね。
また黒海は叩きや引きといった、どちらかといえばネガティブな技のプロフェッショナルとして頑張って欲しいと思いますね。勿論、頭からぶつかっていく相撲というのは見ていて楽しいのですが、黒海にはそれとは別の相撲をさらに磨いて欲しいですね。彼の手の長さという日本人には無い特徴を生かして欲しいところです。
ブルガリアの二人(琴欧洲と碧山)は、早く二人の対戦が見たいところです。確か、琴欧洲の紹介で大相撲入りした碧山ですが、琴欧洲を目標にして頑張ってきたと聞いたことがあります。そういう、因縁のある二人が、お互い辛苦を超えて対戦するという物語は、多くの人にも感動を与えると思います。
今場所の碧山を見ていると、近い将来、そういったことは実現しそうですね。
いずれにしても、モンゴル人力士もそうですが、遠く故郷を離れて頑張っている外国人力士は、日本人力士とは違って、ハングリー精神が凄いように感じます。物価水準はよく知りませんが、彼らの月給は、故国にいたとしたら決して手に出来るような金額ではないはずです。
日本という国で、夢をつかもうとして頑張る異国人の純粋さに僕は魅力を感じます。
そして、これからの大相撲は、全世界の青年に夢を与えるようなスペクタクル格闘技になって欲しいと思いますね。
まさむね
2011年九州場所関連エントリー
2011.11.29:稀勢の里昇進問題、あるいは合理主義とノスタルジーの葛藤
2011.11.25:21回目の優勝を飾った白鵬について改めて考えてみた
2011.11.22:期待の大相撲・阪神四天王(豪栄道、栃の若、妙義龍、勢)
2011.11.20:九州場所の注目の二人・琴奨菊と稀勢の里について
今日は久しぶりに大相撲についての話です。
今年前半のいわゆる不祥事の影響か、九州場所でのお客さんの入りは今一つのようです。
もともと、九州場所は、両国に比べると空席が目立つことが多いのですが、それでも8日目まで、まだ満員御礼が出ていないのはちょっと寂しいですね。
ただ、ここまで観てきて、やっぱり、琴奨菊と稀勢の里という注目を集める二人の活躍は素晴らしい。
今日はその二人について語ってみたいと思います。
先ほど、客入りがいまひとつという話をしましたが、それでも、今場所は福岡県柳川市出身の新大関の琴奨菊が好調なので土俵の盛り上がりは、いつも以上に感じられます。
この琴奨菊に関してですが、自分の印象だと、大関になる以前は、豪栄道、稀勢の里、鶴竜、栃煌山、豊ノ島等と比べて、それほど突出した感じはしていなかったのですが、先場所位から、急に別格的な存在になってきましたね。
琴奨菊のいいところは、土俵下で次の対戦を待つときの集中力の高め方、そして塩の撒き方、このあたりの個性的な所作は僕の好みです。
白鵬をはじめ、土俵下では、極めて無表情な力士が多い中、琴奨菊は両肘を締めて顔を覆う仕草をします。まさに、これから勝負へ向う男の緊迫感が漂っています。
また、塩の撒き方ですが、琴奨菊は、朝青龍以来の上位の左利き力士ですね。しかも、塩を撒く方向が前ではなく横。こういったちょっとした違いが僕には好ましく感じられます。
ある意味、力士が積み重ねてきた歴史がそういった一つ一つの所作として現れているのだと僕は感じます。多分、今までの勝敗の縁起の積み重ねなのでしょう。
勿論、今場所の琴奨菊の相撲内容は素晴らしい、今日の鶴竜戦など、既に二人の間に厳然と存在する「格」の違いを見せ付けてくれました。やはり、番付が力士を作るという面もあるのだということを改めて知りました。
しかし、それにしても福岡国際センターの琴奨菊コールは凄いですね。地元福岡、柳川からの応援団という話ですが、子供達が一生懸命に応援している姿というのは、全く関係のないテレビのこちら側の視聴者をも励ましてくれているようです。
僕は、柳川という街に一度、足を運んだことがあるんですが、本当に綺麗な街ですね。数学者の藤原正彦が「国家の品格」の中で、美しい風土が偉人を生むというなことを書いていましたが、確かに、柳川という街は、人口の割りには多くの有名人を輩出しています。琴奨菊を始めとして、北原白秋(詩人)、壇一雄(小説家)、廣松渉(哲学者)などの文化人や、妻夫木聡(俳優)、徳永英明(歌手)といった芸能人もそうですね。
さて、話は変りますが、今場所、大関昇進を賭けて闘う稀勢の里の闘志もいいですね。
今日の相撲は、琴欧洲の一気の出足に、危ない場面もあり、徳俵に足をかけての辛勝でしたが、それでも勝ちは勝ちです。一場所15番あるうち、こういった相撲も数番はあるもので、それをいかに乗り切るかというのが大関昇進のカギになります。その意味で今日の一勝は大きかったように思います。
稀勢の里を見ていて感じるのは、その堂々とした態度が、往年の北の湖に似ているということ。土俵下での、その表情は、悪く言えば無愛想にも受け取られがちかと思うのですが、それでも、あのマブタを激しく開閉して紅潮した顔面は、琴奨菊とは別の意味で、常に緊張感を感じさせます。
そして、稀勢の里といえば、もう一つ、付け加えなければならないのは、本場所直前に亡くなった元横綱隆の里の鳴戸親方のこと。テレビニュースでは、涙を見せながらその悲しみを語っていた稀勢の里ですが、大関昇進こそが一番の供養になるということでしょう。
鳴戸部屋の力士は、稀勢の里もそうですが、高安、十両の隆の山など、多くが茶色のマワシをつけて土俵に上がっています。勿論、これは亡き親方・隆の里のマワシの色と同じ。
先場所まではそれほど、気にしていなかったのですが、親方が亡くなった今場所は特にその色が現役時代の親方を思い出させ、往年の相撲ファンの心の奥の記憶を刺激しますね。
これも大相撲という長い歴史のある芸能スポーツだからこその、味わい方だと僕は思います。
琴奨菊と稀勢の里。今場所、残り7日ですが、優勝を目指して頑張って欲しいと思います。
まさむね
2011年九州場所関連エントリー
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2011.11.22:期待の大相撲・阪神四天王(豪栄道、栃の若、妙義龍、勢)
2011.11.21:大相撲で頑張る白人達の話
高澤等先生が書かれた「家紋歳時記」を拝読いたしました。
この本は2009年に、一年間を通して、全国の地方紙で、先生が連載された『家紋歳時記』を改訂・加筆されたものですが、様々な家紋と絡めたかたちで、日本の四季折々の習慣・文化・風俗が綴られており、その内容は驚異の一言です。
一つ一つの家紋と、そして、その背景にある日本文化への愛情が一ページ毎に、いや、一言毎に込められた珠玉の一冊と言っても過言ではないと思います。
おそらく、その愛情は、極めて正確に、過去から現在にかけて、この国土において生活を営んできた名も無き日本人達の自然や、家族、先祖、そして輩(ともがら)への愛情の深さとリンクしているのだと思わざるを得ません。
本の「はじめに」には、次のように書かれています。
多くの災害にみまわれ、経済的な行き詰まりに自信をなくした時に、日本人自らを支えるものは知らずに身にまとっていた文化であると、誰もが気づくはずれある。
勿論、これは今年の311の大震災を踏まえた言葉です。
今回の大災害を目にして、私達、日本人は、自分達の短所を、嫌と言うほど知らされました。
しかし、その一方で、私達は、まさに「日本人自らを支えるものは知らずに身にまとっていた文化」であったということも改めて確認したのではないでしょうか。
抽象的な言い方になってしまいますが、日本人のいざという時の強さは、目に見えるような経済力や技術力もさることながら、その基層に厳然と存在した無意識の文化力であったということです。
そして、その文化力というものは、大声のシュプレヒコールや単純なイデオロギーなどでは掬いきれない、まさに、人々が育んできた、あるいは時には忘れ去ってきたようなものも含めた、多様な営みの総体だということを、この264個の歳時記は、静かに、教えてくれます。
さらには、日本文化の本質とは、愛国的言説が、勢い陥りがちな、日本文化の単一性や独自性といったものよりも、寛容さ、曖昧さ、謙虚さにあるという教えも、この本の中から、ささやくように、にじみ出てくるように思われます。
例えば、【宝船】の項では、「七福神はそれぞれ、仏教、ヒンドゥー教、道教、日本土着の神々であり、宝船という一つの船に集うように乗る姿は、多くの神を受容する日本の風土だからこそ生まれ得た平和のシンボルでもある。」と書かれています。
日本人は、この【宝船】に象徴されうるような、なにかを、今こそ、振り返ってみるべきではないでしょうか。
さらに、日本文化の素晴らしいところは、先ほど述べた多様な営みというものが、決して、バラバラに存在しているわけではなく、日本人であれば、必然的に持つある種の共感(美意識)によって、暗黙のうちに理解・共有されてきたということではないでしょうか。そして私達は、この本から、皇室から庶民まで、あらゆる階層が満遍なく所有しているこの美意識の結晶が、家紋文化というものだ、という主張を読み取ることが出来るのです。
おそらく、この本は一気に通して読むだけではなく、一年をかけて、じっくりと、その季節ごとに、一ページづつ、読むべき本に違いありません。
それゆえ、この一本気新聞においても、「家紋歳時記」の具体的な内容に関して、折々に触れて語っていきたいと思います。
まさむね
昨日は、少し時間が合ったので中野の近辺の寺に行ってきました。
僕は中野区の小学校に行っていたので、子供の頃、授業で、このあたりに寺町があるという話を思い出しました。確か、明治時代の区画整理や、関東大震災後に、浅草近辺にあった寺の多くが、ここ中野や、世田谷区の烏山に越してきたということを聞いたことがあります。
ただ、その前からこの中野に存在した寺の代表格が、宝仙寺です。ここは有名人の葬儀・告別式がよく行われることでも知られており、確か、プロレスラーの三沢光晴選手や、漫画家の赤塚不二夫さんの告別式もここで執り行われました。
かの有名な武家の棟梁・八幡太郎義家(源義家)によって開かれたと伝わり、杉並区の大宮八幡宮の別当寺ということで、江戸時代には相当広い土地を領していたらしいですね。
ここに眠るのが、丸井の創業者・青井忠治氏。さすが名士だけあって、本堂近くの特別な場所に墓を構えています。
一般的に、大企業の創業家(大社長)の墓は、例えば、大日本印刷の北島家(吉祥寺)、西武の堤家(鎌倉霊園)、安田財閥の安田善次郎(護国寺)なんかもそうですが、このように墓所も大きく別格扱いされていることがありますね。今でも多くの人が参拝するからでしょう。
また、その他、ここには文化人類学者の石田英一郎の墓がありましたが、残念ながら墓には家紋はありませんでした。
さらに、結構広い墓域を周り、墓を見て回りました。当たり前の話ですが、代々、土地に根付いた家の墓は同じ名字で、沢山ありますね。ちなみに宝仙寺では、高橋とか飯塚といった名字の墓が多いようでした。
次に訪れたのが、この宝仙寺から、少し歩くのですが、上高田の高徳寺です。ここには、江戸時代の学者政治家・新井白石の墓、山野美容学院の創設者・山野愛子の墓、長門裕之・南田陽子夫妻が眠る加藤家の墓があります。
ただ、今日の目的は、もう、25年も前にNHKの朝ドラ「はね駒」のヒロイン(斉藤由貴)のモデルとなった磯村春子の墓です。文学者や女性の墓はどちらかといえば、大企業の創業者や政治家に比べると、こじんまりとした墓が多いので、探すのに苦労することがありますが、この磯村春子の墓は、新井白石の墓のすぐそばにありました。
これも不思議なのですが、先日行った総持寺の猪木家、大西瀧治郎、益田孝の墓もそうですが、有名人の墓は比較的、近接していることが多いですね。
有名なところでは、三鷹・禅林寺の太宰治の墓と森鴎外の墓、巣鴨・慈眼寺の芥川龍之介の墓と谷崎潤一郎の墓、鎌倉霊園の川端康成の墓と堀口大學の墓とかでしょうか。
時間があまりなかったので、昨日はそれくらい。ただ、ここは西武新宿線・中井駅からの歩ける場所なのでまた来ようと思いました。
また、僕は寺社を回るとそこの寺紋、神紋、そして近所の街中にある家紋も撮影し、以下に掲載しています。
よろしければ、こちらもご覧下さい。
日本家紋地図(街中の家紋)
全国寺社紋地図
まさむね
池上本門寺は素晴らしいお寺さんです。
僕は、階段を上がった丘の上にある寺社はなんとなく信用できるんですね。麻布の元神明宮とか、品川神社とか、赤坂の日枝神社とか...
その昔、寺社の近くにあるコンピュータのデータセンターは、安心という話を聞いたことがあります。
長い歴史の中で、古人は、地盤の固いところ、地震に強いところに古社を作ったに違いないからという理由です。なんとなく納得できる話だと僕は思いました。
そして、この池上本門寺も長い階段を上がらないと境内にたどり着けません。登りきるとちょっと息が切れました。
さて、本門寺の墓所の話をしましょうか。
ここは総持寺に比べると、それほど広くはないのですが、多士済々の墓を拝むことが出来ます。
有名なところでは、幸田露伴、市川雷蔵、片岡仁左衛門(11代)、松本幸四郎(7代)、映画監督の溝口健二、そして我らがスーパースターの力道山。
ご存知の方は多いかと思いますが、池上本門寺は、力道山の生前から、日本プロレス界と深いつながりがあったらしく、山門の仁王像のモデルは若き日のアントニオ猪木だそうです。
その他にも、日本プロレスコミッショナーの大野伴睦自民党副総裁、リキエンタープライズの山本社長、東京スポーツ会長の太刀川恒夫の太刀川家の墓もここにあります。
それらの墓の中でも特に目立つのが大野伴睦先生の墓所にある虎の石像ですね。東海道新幹線に無理矢理、岐阜羽島駅を作らせたというその強引さは、この墓のデザインにも現れているようにも思います。
また、ここの墓所の、三重塔から力道山の墓へかけての道沿いには、戦後日本社会の黒幕・児玉誉士夫を始め、大言壮語な語り口から「永田ラッパ」と呼ばれた大映オーナーの永田雅一、元自民党幹事長の斎藤邦吉、東京ガスのドン・安西浩、日本赤十字社社長の花房義質、閔妃殺害事件で投獄された岡本柳之助、稲川組の石井会長や、東声会の町井会長等の墓が左右に並んでいるんですね。これだけの大物を集めるというのもある意味、日蓮上人の威徳でしょうか...
僕は、自分の頭の中で、墓参をするときに生前のその方のイメージを沸かせて参るのですが、この道は、東京の様々な墓所の中でも屈指の”大物ストリート”で、そんな大物達の間を歩いていくというのは、イメージだけの話ではありますが、ちょっとビビります!!まぁそれが墓マイラーの醍醐味でもあるんですがww。
というわけで、今日は、池上本門寺の墓所はいつ来ても、身が引き締まり、しかも、楽しいというお話でした。
まさむね
昨日、久しぶりに鶴見の総持寺と池上の本門寺に、TBC(東京墓石クラブ)のO君と二人で行きました。
勿論、家紋を有名人の家紋を確認、撮影するためです。
今日のエントリーでは、総持寺について書いてみたいと思います。
ご存知の方も多いかと思いますが、総持寺は、曹洞宗大本山(寺紋は五七の桐紋)で大変広い敷地を持っています。それゆえ、墓地も広いですね。
今回の目的はの第一は、「特攻隊の父」といわれた大西瀧治郎の墓、その隣にあるといわれている猪木家(アントニオ猪木の)の墓です。これに関しては、こちらのブログ(愉快痛快奇奇怪怪)を参考にさせていただきました。
さらに、僕にとっては、参考書的なサイト=名簿録に載っていた情報ですが、往年の名将・水原茂さんの墓ですね。また、例えば、コチラのブログ=カームラサンの奥之院興廃記にも書かれていますが、音楽家・黛敏郎氏の墓です。
さて、総持寺の墓地ですが、入り口から見て大きく分けて、左のエリア、正面のエリア、右のエリアがあります。
左のエリアの代表墓は何と言っても石原裕次郎さんの墓でしょう。墓地にも「裕ちゃんの墓→」という案内板が出ています。さすがスーパースターですね。
裕ちゃんの墓の他、このエリアには、哲学者の岩元禎、日本画家の前田青邨、建築家の伊東忠太等の墓があります。今回は、その他に言語政策提案者の山下芳太郎さんの墓を見つけました。この方は、横書きのカタカナ普及のために尽力した方で、墓の名前まで横書きのカタカナで彫られています。ここまで徹底しているというは、ある意味、素晴らしいですね。家紋は剣片喰い紋でした。
また、正面のエリアは、以前行った時にかなり回ったので今回は後回しにする作戦を立てました。ちなみに、このエリアには堺利彦や前田山、川上貞奴、浅野セメント会長の墓などがあります。
そして、僕らは、今回のメインターゲット、右のエリアに足を運びました。うれしいことに愉快痛快奇奇怪怪には墓の写真が掲載されてありました。僕らはこのエリアで、写真に写りこんでいる墓の背景の場所を探しました。
そうしたら、ありました、ありました。写真には、大祖堂の端が写っているじゃないですか。
O君はその情報を元に早速、墓を発見。さすが、彼は広大な墓所から墓を見つける天才です。
そして、家紋をゲット!大西瀧治郎中将の家紋は鞠挟みに違い鷹の羽紋。鞠挟みの中に何か入っている有名人の家紋は、幣原外交で有名な幣原喜重郎氏の鞠挟みに梅鉢以来の出会いです。
そして、その隣は、憧れの天才レスラーアントニオ猪木の実家・猪木家の墓がありました。猪木さんは鶴見の出身、家は、相当の資産家だったようですね。
家紋は、丸に横木瓜、猪木さんのエキセントリックなたたずまいからみると、木瓜というのは意外に「普通」な感じがしました。
ちなみに、猪木さんと同じ丸に横木瓜紋の有名人は、沖田総司、樋口一葉、豊田佐吉、坂本九、森喜朗...。ご興味のある方はコチラをご覧下さい。
そして、オマケと言っては何ですが、偶然、見つかったのは、それらの墓の前にあった益田孝氏(三井物産創設者)の墓です。これはラッキー。益田家の家紋は、三つ割り菊紋でした。
さて、残るは水原茂氏と、黛敏郎氏の墓です。あとは、二人でしらみつぶして歩いて探すしかないです。
そして、今回の重点エリア(右エリア)の最も端の壁際の列に、水原茂氏の墓を発見しました。目的の墓を発見した瞬間というのは、本当に嬉しいですね。これだから、墓マイラーは辞められません。
そして、家紋の撮影ですが、その前に、お墓に彫られている茂氏の名前と死亡年月日を読み、ご本人と確認、これは必須の手順です。
驚いたのは、その家紋が丸に右荒枝付き三階松に株竹紋だったことです。この家紋は、森本景一氏の「家紋を探る」でも、幻の家紋と評されていた家紋です。僕にとっても、初めて出会った家紋でした。
ちなみに、右寄り三階松というくくりで言えば、映画監督・木下惠介やミュージシャンの細野晴臣、X-APANのhideの家紋でもあります。ご興味のある方は、コチラをご覧下さい。
それから二人別々に、墓所を歩き回ったのですが、結局、黛敏郎の墓は見つけることは出来ませんでした。
まぁ、またいつか来ればいいや、墓探しは深追いは禁物です。心の中で両手を合わせ、頭を下げて、総持寺を去りました。
次の池上本門寺が待っていますからね。
まさむね
※本門寺探訪に関しては明日のエントリーで書こうと思います。